三.一度でいいから満足の行く歌を
常連の集まりも時には数名になることがあった。この中でいつも休まず出席した二人の女性がいた。九州通信局で仕事をする星光社の古閑と前田の両名である。星光社はトレスやコピー作業を公社と専属契約し、作業を請け負っている会社の職員で同じビルに事務所があった。
昨年の春(昭和四十五年四月)のメーデー前夜祭に出場するため二十名程の仲間が集まって歌の練習していた。このことを残業をしながら聞いた二人は、知人に頼んで練習に参加したいと言ってきたのだ。自分から練習に参加したいと申し出たことでもあるだろうが非常に熱心だった。歌うのも上手いし声もよい。二人は何も楽器を弾けないと言っているが、私には嘘をついているとしか思えなかった。少なくとも私よりできるはずだ。それもピアノか何かを ・・・
仕事で余程のことがない限り二人は必ず参加した。参加できない時はその理由を知らせてきた。彼女たちは私たちの仲間が集まらないのが不思議だと言った。彼女たちだって労働歌が好きなわけではないだろう。フォーク、歌謡曲などいろいろある。私たちに比べると労働歌の認識もないはずだ。なのに歌うことが好きだからといって私達の邪魔にならぬように一生懸命歌ってくれた。
更に私たちと一緒に相談する時には本人の意見をはっきりと言葉にした。私はそれが何よりも嬉しかった。私たちの仲間の中でさえ人の前で自分の意見を言う人は少ない。ましてや女性は殆どいない。ニヤニヤするか私には分からないとそらすか、だいたいそのどちらかだ。私だって最近慣れてきたが、まだ臆することが多々ある。彼女らの行為を私は真に受け取りたい。
そうこうするうちに十二月に入ってしまった。残った常連は西岡・岩本・加来・鎌倉・横田・緒方・古賀、それに星光社の女性二人と私の十名だ。今度の九
州文化祭典の発表曲も決めなければならない。そんな時期に追い込まれていくのを私は少々心痛く感じていた。
この頃私は組合の部会役員をしていた。また音楽が好きで、かって会社のブラスバンドに入っていた時体力の限界で行動が付いていけないのを悔しく感じていた。一日か二日の無理は耐えられるのだが、一週間ほど無理が続くと、もう体調が崩れて食事もうまくできず、また睡眠をよく取れないことがたまたまあった。
前回の暮の選挙の終盤の日々、寒い中を一人で票を集めに街へ出たが、その無理がたたって喘息風に呼吸が苦しくなった。かって野球をしていて、練習の疲れが取れないまま仕事をして、歌声をやり、そして組合活動をしなければいけなかった自分をみて、私の人生が燃え尽きはしないかと、ただ悲しきさだけが私の心を締め付けたりした。