八.曲を作る
ついに曲を作ることになった。私と加来で何とかすることになったが、私には自信など全くなかったけれど、それでいてひょっとしたら自分にもできそうな気もしていた。彼も同じではなかったろうか。
彼と私は同じ寮生活をしていて隣部屋同士だった。ギターを弾くこととは程遠い技量だが、互いに弦をひっかきあって遊んだものだ。そして幾つかの小節を作っては互いに批判しあって、より良いメローデイに成らないかと苦心していた。
彼と私の仲は可なり古く二年半程になる。私は会社のブラスバンドに入っていて独身寮生活をしていた。こんな時彼は私と別の職場に転勤してきた。知人の話によればフルートとアルトサックスを奏けるということだった。若手のブラスバンド・メンバーを探していた私は彼を半ば無理やりに定期練習に誘った。今考えてみると彼もかなりバンドに好意を持っていたのだろう、二年後には私と彼はまあかなりの「音楽のぼせ者」に昇格していた。
ブラスバンドで演奏する曲のサックスパートの一番(アルト)を私が受け持ち、背も高く体格の良い彼が二番(テナー)を受け持っていた。普通ブラスバンドで演奏するのはマーチだが、私たちのリーダーは若い頃からキャバレーでアルバイトをしていたこともあったようで、その影響で私たちも歌謡曲を何曲も練習した。
こんな状況なので私と彼の二人が若手の中で初見(初めて見る譜面)を見て何とか演奏できる人間だった。互いに意見も交換し、また夜遅くまで残って練習もした。かって大きなビル裏で夜更けに練習していて、近所の人に怒られたほどだ。つまり私と彼との間柄は
全く音楽でもって結びつけられている。音楽についての話が私と彼との会話の九割は占めていた。
九州総合文化祭典での発表日まで残り一ヶ月ほど。私は家に帰ると直ぐにギターを抱えた。まず歌詞の意味をしっかりと考えながら、ゆっくり自分に言い聞かせるよ
うに浮かんでいたメロデーを口ずさんだ。そして声を出して歌ってみた。何度か繰り返すうちに、これと思うメロディーになった時に初めて、ギターで音を取り直して譜面に書いた。
曲はできるだけ簡単に、そして最高音はオクターブ上の「ミ」まで、下はオクターブ下の「ラ」まで、さらにできるだけハ長調で、他の調子になっても調子記号が一個つくまで、これが彼と私の申し合わせだった。というのは今練習に来ている仲間のほとんどが、更にいざ練習にこれから集まる仲間を含めて、楽典などを苦手としていて高い声に苦しんでいると思われたからである。素晴らしく歌うためには、まず出せる声をハッキリと十分な響きを持って流れるようにすることだ、と私たちは意見を統一させた。
突然に加来の出張が決まった。二月末までだという。私はショックだった。あれだけ二人でやろうと意気込んでいたのに・・・ こう思ったが「ようし、やってやろう」という気持ちにもさせられた。歌詞は十番まで作った。二月以降から直ぐ練習を始めなければならない。
私は会社の昼休み時間でも行き帰りのバスの中でもメロディーを考えていた。家に帰ると妻が食事の支度をして待っているのに、帰りのバスで浮かんだメロディーを忘れないうちに譜面に直した。
歌の練習は週に二日火曜日と木曜日にしたが、参加する人は十五名ほどが常連だった。曲は六番まで作ったが、もう私の頭にはメロディーのネタ切れになってしまった。困った私は福岡に出張している加来に電話をした。そして八・九・十のつまり三曲分のメロデイを作ってくれるように頼んだ。
丁度この頃彼の両親の健康状態が悪く、郷里の北九州と熊本の間を行き来していたが、その合間を割いて私の家に打ち合わせに来てくれた。私は彼が担当する歌詞の意味を説明し、言わんとする趣旨が変わらなければ、言葉は少々直しても差し支えない旨話した。
二週間ほど経って彼から曲が届いた。勿論今までに作った私の曲も彼に送った。そして互いに意見を交換してつなぎ合わせた。私も彼も曲らしい曲を作るのはこれが初めてだった。こんな二人が一生懸命に力を合わせたからこそ、ひとつの纏まった組曲らしきものになったのだと思う。
私は曲作りの中でメロディーの重複を感じた。つまり 以前に作ったものと似たようなメロディしか浮かばないのだ。彼だってひとりで五・六曲作ったらきっと同じだったに違いなかろう。私は改めて協力し合う意義を知った。一+一はニ、これは数学の話。人間の為すこと結果は三にも四にもなる。私たちのそれは五に適する感があった。