九.歌え若者
歌の練習は、いつもの通り通信局会議室で行ったが、集まりは依然として少なかった。こんな時市内合唱団で県全体の歌唱指導をせよとの話が組合から来た。一難去ってまた一難、自分で作った曲だから私が教えなければ人がいない。こんな時に県全体の指導をするのは、とても私にはできそうもない。
私が意見を述べたら、市内合唱団のメンバーから何人か分会の指導に出してくれとのことだ。自分たちさえ上手く練習できないのに、どうしてメンバーが分かれてできるだろうか。私は団長という立場からこれを断ったが、県全体合唱はやるという。それならば市内合唱団の「空と海・・・」は九州祭典には出ず、県祭典だけにすることを主張した。
しかしいつも歌の練習に来ていた市内合唱団に集まる仲間の中で意見が別れた。議論のすえ練習回数が足りないので、日曜日でも練習して九州祭典で発表しようと意見が統一された。
私は今の練習方法では時間が足りず発表できるものではないと思えた。だから日曜日を三回、しかも熊本城横の広場に皆を集合させた。これは他人に見られる中で歌う度胸をつけるためと、青空の下で反響のない自分の声を認識し発声に力をつけさせるためだった。
雨に降られた日もあった。参加者は十四・五名を数える程度だったが、この中に二人の若者がいた。平島・平野の両君だ。平島は歌が好きだったが平野はさほどまでなかった。それでも何故私たちがこの曲を今歌おうとしているのか十分理解しているようだった。彼らは熱心だった。歌うにはまず歌詞を覚えねばならない、これが私の指導方針だった。練習中のかなり早い時期に歌詞を覚えてくれた人は、私の見たところ六名程度だったが、その中にこの二人もいた。
練習を始めた頃は皆な歌いにくそうだった。この曲は何だかお経のようだというのが、皆の変わらぬ
感想だったようだ。けれど何度か歌い続けていくうちに各自まちまちではあるが関心を示し始めた。つまり今までの労働歌と、この曲が異なっていること、歌謡曲の分野から掛け離れたものだと気が付きだしたことだ。
この曲の目的は、我々がこの世の中にただ何をすることもなく生きていていいのかどうかを提起するものと考えていた。直接水俣病を取り上げ、その原因は何により発生したのかを問うものだが、これを受けて最後の十番ではもっと自分たちの環境を見直していこうと提起する歌詞だったからだ。こんな曲にかなりの人々が共感を抱いたようだった。私はそれが本意だったと皆に話した。今ひとりで多くの人に提起することが何もできない私たちが、今できる最初で最大のことだと話した。
三月六日九州総合文化祭典が近づくと皆なの意気込みは変わってきた。祭典前夜に佐賀の旅館の大広間を借りて練習をした。参加した仲間の顔に真剣さを感じた。これだけでも良かった。例えこの後一時的に忘れてしまっても、きっといつか人生の中で思い出してくれるかも知れない。
今私に出来ることは、この曲のために集まった人々に、若い労働者がなすべき意義を提起することだ。それを彼らがどう受け止めようと私は多くを期待してはいないが、提起しなければ何にもならない。
仲間よ、声を大きく、身体の中から歌え。
お前たちの真心で、噛み砕いた言葉で。
若者よ歌え。
漫然と毎日を過ごしていいものか。
そして考えよ。
お前の口から吐き出される言葉を。
およそ人間というものは自分の言葉に責任を持つべきものだ。どんな時でも、如何なる場所でも。だ
から他人に問われた時にまがりなりにも自分の考えを述べられるようにすべきだ。