四.今度こそヤアジられるな
私は過去三回九州総合文化祭典に参加した。そして三回とも市内合唱団の仲間の中心となって、西岡・岩本の二人と、もうやめてしまった高岡と、みんなに歌の指導をしてきたが、練習に参加する人は少なく直前になって舞台に立つ頭数を揃えるのに苦心する状態だった。
そんな風だから九州総合文化祭典に参加する所謂発表曲は、熊本県支部全体合唱として三曲ほど選んで練習するだけだった。会場へ行く前日のバスの中で初めて譜面を見る人も沢山いた。だから当日舞台に上がって発表しても不安定な発声と、歌詞を見るために、楽譜に顔を落として歌うので会場に歌声が流れない。元気に歌えとヤジられることもある状態だった。
元気がないのは練習していないから当然と言えるが、舞台の上には百五十人もいるのに、声はおよそ三十から四十人程度の力強さしかない。
この頃他の県支部の発表の出来栄えから推測すると、かなりの練習を重ねて会場に来たように思えた。練習の回数の多少よりも、練習に対する意気込みがまるで違っていたように思えてならない。 熊本地域の人たちは関心が薄いから勿論練習にも来ないのだろうが、ヤジを舞台で聞いて恥ずかしいと思ったものが何人いるのだろうか。否思った人はいたとしても、俺たちもやろう、やってみようと考えた人がいったい何人いるのだろうか。
九州総合文化祭典も全国音楽祭典も、最近の傾向は構成詩劇だった。勿論芥川也寸志氏が率いる日本音楽協議会が指導する、労働者の職場から或いは生活環境から生み出される独自の創作音楽が期待されていた。そして国鉄労働組合や郵政局労働組合などの青年婦人団体が発表をつずけていた。
今まで私たちが労働歌として、ただ歌っていた歌を巧みに組み合わせ、更に創作曲を加え、ある一定
の訴えを述べながら数曲歌うものもあった。主張するテーマは沖縄返還や広島・長崎の原爆反対のものが多かった。そしてベトナム戦争反対が続いていた。職場
での締め付けに反論し告発するものもあった。劇もよく練習されていたが、歌は大抵混声合唱にして取り組まれていた。
熊本県支部は以前二部合唱に取り組んだこともあったが、まず全員が同じように歌う所謂斉唱の形を取り入れた。しかし選曲がまずく、例えば最初が弱起(1/4拍子の4拍目から歌が始まるもの)の曲であったため、或いは静かなメロデイで始まる曲が多く、やはり自信を持って声を出す者が少なく失敗に終わったりした。私たちは検討を加えた結果、強起で始まる元気のいい曲を、しかもかなり高い声を出さねばならない曲を選んだ。それでもやはり他の県支部の歌唱力には及びもつかなかった。
何としても大声で精一杯歌えるようになりたい。今の私たちに歌の上手さなど問題ではなかった。九州総合文化祭典へ九州各地から参加する仲間に、私たちの誠意のない発表が恥ずかしくてならなかった。遠い
職場は八時間もかかってバスでやってくる。同じような職場で同じような境遇の中で練習してきた仲間が堂々と発表するのだ。発表の素晴らしさが意味するものは団結であり、一緒にみんなが集まって練り上げた力なのだ。きっと多くの人が今日、明日、いつの日か忙しさを乗り越えて人生を突き進む手立てを育てるものに違いないなかった。
熊本県文化祭においては、私たち熊本市内の仲間の余りに不甲斐ない発表に只悔しいだけだった。なんとかしなければならない。俺たちの世界は俺たち自身が作らねば、こんなことを常連で話し合いながら、もう十二月に入ってしまった。今度の祭典に発表する曲の選定に、みんな感心を持ちながらもイニシアチブを取る人はいなかった。とうとう年明けて一月七日定例会が開かれた。私たちは市内合唱団の発表曲を決定すべ
く話し合いに入った。
加来が口火を切った。どうせヤジられるならば、自分たちで作った歌を歌おう。僕たちの歌の評価は僕たちでなければできない。誰も知らない歌を歌ったら、ヤジられるはずがないだろう。この言葉が決定打だった。
みんな同意したが曲や詩を作る話になると無言に落ちた。ある者は公募案を提案したが、それに応えうる市内合唱団の練習体制ではなく、また仕上げるまでの期間は全く余裕のないものだった。加来が口を開いた。加来と私の二人が何とかすれば数曲はできるのではないだろうか。それを構成詩風にまとめて、ナレーションを組み入れれば一応の発表ができるのではないか。私は同意した。
テーマを何にするか皆に意見を問うた。会社内部をはじめとして今や日本に渦巻く合理化、公害、交通地獄、沖縄返還、ベトナム戦争。こんなものが主であった。かって沖縄返還やベトナム戦争を取り扱った歌を交えて構成詩にしたことがあるが、直接事件に係わった経験の無い私たち自身に、一体どんな関係が生まれたであろうか。