027 1987-04-02
Matena Rivero,
Ĉinio bk, Let


27番目は隣の中国から最初の絵ハガキが届いた。4月2日着航空便で11日間とはちょっと長い。 彼女の住所は中国語で書かれている。絵ハガキは良質ではないが丁寧に書かれたエスペラント文が私の 心を捉えた。返事を出したら4月11日に2度目の手紙が来た。
2年前からエス語学習を始め、趣味は観光絵ハガキ収集と中国および外国の文化を知ることで、長い手紙を 書いてくれと言ってきた。 小さな封筒には少女と熊の人形のイラストがあり1元10分の切手が1枚貼ってあった。普通の労勧者の 月給の百分の一以上に当たり高額である。18才の娘が、そうたやすく多額の郵送料を出せるはずがないと 考えた私は、すぐに家族のことを尋ねると同時に、国際返信用切手を3枚同封した。 エスペランチスト達は、経済的に豊かでない国の人を支援するために、この国際返信用切手を送って相手の 返事を待つのが習慣となっている。5月4目にはもう3度目の返事がやってきた。
病気の母親と二人で生活しています。毎日自転車で通学していて、冬にはバスを利用します。中国では 多くの人々が仕事や学校や遊びに行くのに自転車を使用しています。昨年の夏休みには、北京と大連に 旅行しました。
貴方の奥さんは働いていないそうですが何故ですか。働くのが嫌いなのですか。貴方は宗教を信じますか。 中国には共産主義と宗教しかなく、精神的弱者が宗教を選びます。私は宗教を信じていません。


彼女の好奇心は旺盛で何でも質問してくるので私も率直に意見を述べた。女性の権利が近年重視される 中国では、若い女性で仕事を持たない人はいないようだ。私は次のような返事を書いた。
私の妻は今働いていないが結婚するまで銀行に勤めていました。私達は家事と仕事を夫々が分担して いるのです。同僚のの幾人かは共働きで、昼間の子供の世話を祖父母に見て貰ったり、保育園に預けて います。しかし私は、自分の子供を自分達の手で育てようと、独身の頃から決めていました。
「人間は環境で育つ動物であり、生まれながらの天才など一人もいない」と主張するドイツの教育者 カールビッテの人間教育論に私は心から惹かれていたからです。 私の両親が育った時代は、軍国主義と古い時代の封建制が尾を引いていて、家父長制が重視されていた 時代であり、これからの時代の人間には、あまり良い影響を与えないと考えたからでもあります。 年下の子供も10歳になったので、妻に時間の余裕もできたし、家の中にいるよりも多くの人に接する方が 良いと二人で考えました。それに彼女の趣味のために自由に使えるお金も、多少必要になったからでもあります。 だが現在の日本では、なかなか適当な仕事が見つからないというのが実情です。 と大体こんな内容の手紙を書いた。
実はこのころ彼女は学校を卒業したばかりで、すぐに就職できずヤキモキしていた。やっと就職試験に 合格し会社も採用を決定していたのに、上部機関の指示で彼女の就職は取消され、すっかり落ち込んで しまい孤独との戦いの最中だったのだ。また私は次のようにも書いた。 この世の中には共産主義のほかに資本主義も社会主義もある。私は宗教を特に信じてはいない。 しかし大部分の日本人の家には、神様を奉る神棚と仏様を奉る仏壇がある。 日本人の宗教観は中国人とは少々違っていると思う。日本人の中には、キリスト教信者もいるし 他の宗教信者もいて全く個人の自由である。こんなわけで西洋等の教会におけるキリスト教徒の宗教観とも また違う。
君は原爆について関心がないというけれど、これからの人類の存続に関して避けては通れない問題の ひとつになると私は考えているので、私が贈った原爆についての本をぜひ読んで欲しい。もし君が読まない のなら、すぐ私へ送り返してくれ。ヨーロッパのエスペランチスト達はとても関心を持っているし、原爆に関する 本を欲しがっているので送ってやりたい。
事実チェルノブイリの原子力発電所爆発以後ヨーロッパの国々では関心がたかまり、私への手紙でも 資料を要求してくる人がかなりいた。私は韓国から取り寄せて読んでいるエスペラント雑誌や、原爆読本の エス訳『水を下さい』ほか数冊の本を彼女に送っていたのだ。
中国政府の現政治体制下で許されている自由が、どれ程のものか私は知らない。再就職も決まって 自由な時間を持て余し気味の彼女に対して、エス語を使って外国の沢山の仲間と意見を交わし何でも学ぷ ようにと書いた。
彼女の夢はヨーロッパのある国に行くことだという。彼女の手紙は1988年に入ってから既に4回受取り、 その都度私も返事を出したのに、どうも彼女には届いていないらしい。 最後の手紙で4ヶ月も何故返事をくれないのかと書いてきた。私の勝手な憶測だが、どうやら検閲に 引っかかったのかも知れない。もっと詳しく報告したいのだが、かなり自由な我が日本においてさえ、 国家機密法などという末恐ろしい奴が、大手を振って歩きだそうとしている今日この頃、ここに彼女の 名前を記すことを、私は躊躇した。