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5.地元の病院で十分な治療を受けられず父が受けた被害

 

 私が心配しているのは、避難するときに父を置き去りにしてしまったことです。 父が入院していた公立病院「相馬病院」は「何かあれば患者を避難させる」としている。
しかし、父によると、原子力発電所の爆発後、適切な治療を受けることができなかったそうです。 そこで相馬市の自宅に戻り、通院を始めた。

 

 症状が悪化すると入院、良くなると通院を繰り返した。 元気な時は、客の要望に応えて働いていた。

病院は閉鎖しなかったものの、原子力発電所の爆発後、相当数の職員が避難したまま戻らず、十分な治療を受けることができなかった。
 

 東大医学部から福島医科大学を通じて若い医師が補充されたものの、緊急時の備えで病院がフル稼働せず、適切な医療が受けられなかったと父は言いました。

 それが原因とは言いませんが、その直後、父のガンが急に悪化し、余命半年と宣告されました。 幸いにもすぐに搬送され、仙台市内の病院で受けた治療も功を奏し、父は一命を取り留めました。

 

 病院からは、父は適切な治療を続ければまだ生きられると言われましたが、相馬市の医療は現状最悪であり、父の入院は認められませんでした。 2014年に私は父を滋賀県の自宅に連れて行き、一緒に暮らし、父の治療と治癒に励みました。
 

 そこで父の容体は回復し、母と車で外出できるまでになりましたが、2019年3月に突然昏睡状態に陥り、福島県に戻るという願いが叶わず82歳で亡くなりました。
 

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