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6.行政による非情な判断

 

 避難指示区域内の大熊町にあるユーザー様の工場がいわき市に移転し、生産ラインを建て替えることになり、移転工事のご依頼をいただきました そんなわけで、当時父の介護で滋賀県といわき市を車で行き来することが多かったです。

 

 しかし、利用予定だったいわき市内のホテルはどこも復興作業員で満員だった。 そこで仮宿泊所のサウナ(蒸し風呂)に一泊しながら移設作業を完了し、工場での生産を開始することができました。

 

 お客様から、いわき市に会社を移転した後、仕事をサポートしてほしいとの大変ありがたいご依頼をいただきましたが、結局移転に必要な土地と建物が確保できず断念しました。
 移転補償制度はありましたが、対象は避難区域内の事業者のみで、私の会社のように区域外の事業者には一切の支援が受けられないことが明らかになりました。

 

 また、避難区域内であれば移転費用も支払わなければなりませんが、指示区域外だったのでこの制度は享受できませんでした。 しかし、相馬市、双葉市地域では、企業、教育、物品販売などのさまざまなインフラが自治体内に張り巡らされており、自治体としてこのシステムを維持するのは当然のことです。 しかし、境界線は原発から30キロのところに機械的に作られた。

 

 そのため、これまでと同じ仕事をお客様に提供することはできなくなり、泣く泣くお客様のご要望を断念せざるを得なくなりました。
 その結果、当時売上高の6割を占めていた主要顧客を失い、ダメージは甚大でした。

 

 私たちの資金繰りは劇的に悪化し、地元の信用組合「SouSou」(相馬地区と双葉地区のことです)から差し押さえの連絡を受けました。

 信用組合は地元の金融機関でしたが、相馬市の企業が厳しい状況にあることを考慮していませんでした。 福島県や国にも相談しましたが、有効な解決策は見つかりませんでした。 そして2014年、私の自宅と会社事務所の土地と建物はすべて差し押さえられ、競売にかけられました。

 

 東京電力(以下「東京電力」)からの賠償請求が進まない中、私は借金の返済を求められました。 しかし私にはそれができず、不動産全体が差し押さえられ、競売にかけられました。 そして私の家、会社のオフィス、不動産はすべて取り上げられました。
 

 2015年に法務局から会社登記の抹消通知が届き、ついに私の会社は消滅してしまいました。

 実直で勤勉な父が50年以上努力して築き上げ、地元顧客企業の発展に貢献してきた当社は、東京電力原子力発電所事故により存続できなくなり倒産してしまいました。
 病を患っていた父・清(以下「清」)の悔しさは計り知れないものでした。 このような状況に追い込んだ東電や日本政府等の対応には大変憤りを感じています。

 

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