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                  播磨固生 

 

 並川は机の引出しを覗き込んでペン皿を整理しながら、この机も以前は木製だったことを思い出していた。毎朝手に伝わってくる冷たさに、サラリーマンとして今日一日拘束されるのだと感じた。少しずつ先輩たちの手垢が擦り込まれたに違いない、あの木の机の感触が並川は懐かしかった。防火の原因となる物はすべて事務室からなくせという会社の方針に、まだ十分使用出来る書類棚も机も木製のものは全て二束三文で古物商に投売りされるのを見ると、これも資本主義社会のスクラップ・アンド・ビルドの一端かと言い知れない憤りと多少のあきらめを感じたものだった。

 

 終業時間を知らせるチャイムが鳴り始めると、積み上げりられていたファイルの束を手早く棚へ戻した。今日は合同送別会が予定されていた。隣の課の朝礼で課長の前に立っていた背広姿の佐久間を見て、彼もいよいよ転勤するのだなと並川は思った。

 しかし佐久間が四十歳の若さで退職するという情報にみんな驚いた。「退職の理由は何か」という話題で、どの課も一日中持ちきりだった。社内の幹部養成コースを出た佐久間はずいぶん前から係長になり、仕事の実質的な推進役を勤めていただけに、退職情報を皆は疑った。

 遅く結婚したうえに五年もたってやっと子供に恵まれた並川には、現在大学二年の息子と今春大学受

験の娘がいた。競馬や競輪に浸るわけでもなく、飲み屋に通うことも稀で、煙草も一日に十本程度の、言ってみれば無駄な出費のない定年間近の並川は、佐久間の隣の課の資材担当主任だった。祖父の代から地元で生活してきた並川は、県外転勤の誘いを断ってきた。事業所縮小で過去の技術経験とは異なった事務系に変わり、本領発拝とはほど速い仕事をしていた。

 

 労働運動に情熱を注いだ青年時代に比べると、いささか活気のない平凡なものだった。最近の組合ニュースを読みながら若い頃を思い出しては、当時の労働者意識に比べ、最近の若者の割り切り過ぎた考え方との違いの大きさに呆れてもいた。思えば、管理者達は労働者達が敵対す資本側であり、労働者の生活実感や労働条件の配慮に欠けたトップダウンのやり方に憤りを感じたものだった。学歴と年功序列を全てとする長年の日本の社会がそうさせたと分かっていても、大学卒の管理者達が好意を持たれることは稀だった。高卒入社の並川たちは、自分達ならどんな施策を打つのか仲間とよく議論し合った。

勿論優秀な大学出の幹部候補もいたはずだが、何事にも自分の意見をはっきりと言わない態度に、特に若い活動家は閉口していた。

 

 現在でも大学卒というお墨付きが就職条件のひとつであり、また女性にとっては結婚条件のひとつにも残念ながらなっている。大学を出て大きな会社に勤め高給取りになるようにと、まるで総国民の願いのような中で、大学が乱立し受験競争が始まった。

自分だけが他人より何としても一歩前に出る教育が重視され、共に学ぶ教育は忘れられていた。高校や義務教育での登校拒否率は高く非行も増加し、大学生のモラルも低下していったのだと並川は感じていた。学歴だけで人の人生が大方決められていく現在の世の中に怒りさえ感じていた。そんな中で、たいして優秀でもない自分の子供を大学へ通わせていることに、心底いって割り切れない気持ちで毎日を過ごしてきた。

 

 「主賓だから、席に戻ったがいいよ」と佐久間にいった。

 「並川さんと飲んでたほうが、私の思い出になるんですが。それじゃあ、ちょっと廻って戻ります」

 中途採用で三十歳過ぎにこの会社に入ってきた佐久間は、二十年目を迎えたばかりだった。

 いま退職して受け取る退職金は僅かばかりのはずだ。それでも二十年というひと区切りが幾らかの好条件に成ったのだろう。この機会をじっと待っていたのかも知れない。

 つい数日前も課長と議論している佐久間の姿を、他の課の社員は見物人よろしくながめていた。佐久間が意義をとなえることは年に数回あったが、根拠を明確に示して一歩も退かない態度に、普段管理者に不満を抱いていた者たちはおおいに溜飲を下げていた。それでいて佐久間の言い分は理想で現実はそうはいかないと言う者ばかりだった。そんな者たちに佐久間はいつもこう言った。

 「国語辞書を引くと「理想」とは、理性によって想像できる最上の状態とある。「理性」とは、本能

や感覚に惑わされず物事を論理的に考え、正しく判断する能力とある。「想像Jとは、すでに知っている事をもとにして、新しい観念をつくることとある。最近は「理想」と言えば「空想」のことだと、残念ながら誤って解釈されている。「理想」は実現可能な根拠に基づく計画である。

 

 佐久間の説明を聞いて皆は成るほどとうなずいたが、自分の認識を改める者はいないように思えた。佐久間の話には信念があると並川は感じていた。言いだしたら一歩も退かない頑固者の姿だ。そして自分の若い頃に似ていると感じていた。そう思えば思うほど、これといって心踊ることに出会うこともなく、ただ時に流されながら毎日を過ごしている最近の自分が惨めに感じた。

 何かをしようとする意欲に欠けている自分にも気づいていた。経済的には決して裕福ではないが、一応不安のない安定した生活にどっぷり首まで浸ってしまった自分は、ひとからげの集団から抜け出してあの青春時代のように個性のある人生など、もうやれないのではないかと思うと哀れだった。

 全てを投げ捨てて、家族と新しい人生を探しに出掛けた佐久間を、羨ましく思っている自分も嫌だった。二次会でずっと横に座っている佐久間の肩を抱きながら、「元気で頑張れよ。負けるな」と何度も言いつづけていた。それは自分への撒に違いなかった。                                 〔了〕

                                                               

    〔九州文連通信第十一号〕

    全電通九州文芸連盟 1998 年発行

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