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   四〇三号室

              播磨固生

 

 背中はもちろんのこと、腰から太腿にかけて汗で濡れていた。長袖の肌着がやや重ために身体に張り付き、厚手のパジャマもかなり湿っていた。全身から、じわじわと吹き出した汗は、首筋から喉にかけて少しずつ流れ出し、屈めた身体を両肘で支えて浮かせた胸の処で、次第に冷たくなっていた。

 もう何時だろうかと、薄暗い部屋の灯りの中で、傍らに置かれた食器台の上の腕時計に目を向けた。寝たままで見易いようにと、たてかけておいた腕時計の針は、やがて二時半を過ぎようとしていた。咽の奥の息苦しさもだいぶ治りかけていた。乾いた肌着に替えるのには、まだ少し早すぎるように思えた。それに、着替える時に熱いタオルを持ってきて、身体を拭いてくれる看護婦を、こんな深夜帯に呼ぶのもどうかと思ったりして、枕元のベッドの手摺に巻きつけておいた、連絡用のブザーの押しボタンに手を伸ばそうかどうかと躇っていた。かと云って、自分一人での着替えに手間どり身体が冷えると、昨日のようにまた発作が起きるのではないかと不安で、主治医に云われたとおりに、深く長い呼吸をしながら、息を整えようと努めていた。

 

 「パタッ、パタッ」と、やや引きずり気味のスリッパの音が部屋に帰ってきた。さっき出ていった谷田さんのものだった。多分トイレからの帰りだろう。明日は退院なので寝付かれないのか、数回出入

りで寝付かれないのか、数回出入りしているようだった。自分のベッドの直ぐ横の床に、薄手の布団を敷いて毛布に包まっている付添いの奥さんが目を覚まさないようにと、少し手前の方からベッドの端に足をかけ、踏ん張るような恰好で上ろうとしているのを、俯いたままの私は、見るともなしに、左肩越しにながめていた。

 「あっ」という低い声が聞えてから数秒たって、谷田さんはつぶやいた。

 「痛っ」暫くの間沈黙が流れた。何が起きたのだろうかと、汗の出ている身体のまま、周囲の気配を感じとろうと一瞬私も息を止めた。しばらくして、ゴソゴソとベッドに這上がる気配がした。

 「洋子、…洋子」押殺したような低い声で奥さんの名前を数回呼んだが、明日の退院にすっかり安心して寝入ってしまったのか返事がなかった。少し強い調子で再び奥さんの名前を呼んだ。

 「洋子」

 「洋子、息が苦しい」

 「……」

 「看護婦を呼んでくれ…」

 「……」

 「はやく、看ご…ふ」

 「……」

 「……」

 「吸にゅう……キ」

ご主人の声でやっと日を覚した奥さんは、ベッドの上で蹲まっている谷田さんに問いかけた。

 「どうしたンな!」

 「あんた! どうしたンな!」

 「……」

 だが谷田さんの返事はなかった。すっかり慌てた奥さんは、ブザーで看護婦に急を告げるのも忘れて向いのべッドに付添っていた瀬戸さんの奥さんに助けを求めた。浅い眠りからすでに覚めていたのだろう、瀬戸さんは直ぐに起き上がりボタンを押した。いったい何が起きたのか、私には想像もつかなかった。病状が急変したとは、とても思えなかったからだ。

 

 先週の土曜日の夜に喘息の発作が激しくなり、通院で貰った携帯用噴霧器による発作止めの効き目も三十分と持たなくなった日曜日の朝、寝ている子供達をそのままにして、妻につれられタクシーで病院へ転げ込んだのは、五日前の事だった。その日のうちに、約二千ccの点滴と発作止めの注射二本を、食事もとらずに十二時間程かけて打ち、やっと落ち着いたのだが、その夜の冷え込みが厳しくて再発してしまった。新館の病棟に空室が無いからといって、結核病棟に隣接した取り壊し寸前の冷たい部屋に入れられ、ベッドの上で苦しんでいる私を見て、妻は心配そうな胸のうちを外に出すまいと、できるだけ落ち着いたふりをしていた。普投と違った、そんな妻を見て、悪いことをしたなと後悔した。そして、子供達が二人だけで一夜を過ごしている我が家の様子が頭の中に現われたり消えたりしていた。

 

 夜間の発作があまりに激しいからと、次の日に新館の個人部屋を空けてくれたが、急患が入り、一晩だけで六人部屋の四〇三号室に移ることとなった。

ベッドの上に座ったまま、点滴のビンを二本ぶらさげて、看護婦に引かれながら移動してきた私を見て、部屋の五人は少なからず驚いた様子だった。点滴の液がなくなりかけると、早く看護婦に知らせようと気使ってくれたのは、六十四才の谷田さんだった。

 一週間後に始まる祭の見物に、孫娘と一緒に行きたいのだが、多勢の人ごみの中を歩くのは不安だと、谷田さんは話していた。海の近くの町で生れ育ったのだろう、大の魚好きだということを知っている孫娘のユカちゃんは、おじいちゃんへのお見舞だといって、数日前クロダイの煮付けを持って来てくれたと、自慢気に私に話してくれた。元気そうな谷田さんの姿を見て、ベッドの上にへたり込んでいる私は、とても羨ましく思った。

 

 谷田さんが呼吸困難に落ち入ったのは、退院を明日にひかえた前夜の出来事だった。

ナースセンターへ奥さんは走った。他の患者の看護で直ぐに手がはずせなかったのか、いつもならすぐに返ってくるマイクでの返事にちょと時間がかかり、じつとしてはいられなかったのだろう。やがて、吸入器と人工呼吸用器具らしいものを持って、看護婦が二人駆け込んできた。

 「谷田さん、どうしたんですか」

 「谷田さん!」

 「ウーツ…」

 低く短い音に似た声が聞えた。

 「谷田さん! 谷田さん!」

 「しっかりして下さい!」

 「……」

 「しっかりして、谷田さん!」

 「……」

一人が当直の医師と主治医へ連絡をとるため、ナースセンターへ走った。残った一人が一生懸命に谷田さんの名を呼びながら、持って来た送風器の管を谷田さんの口へのばし、手動ポンプを操作しょうとして

いた。

 「谷田さん!」

 「……」

 「タニダさん!」

 「……」

 空気の洩れるような昔がした。送風器がうまく動かないのだろうか。

 「タニダさん!しつかりして!」

 「……」

 「しっかりして!」

 「……」

 「先生!はやく……!」

 「……」

 看護婦の必死の甲高い声が、私の頭の中を一回転してから、足の指先まで突き抜けて走った。


 当直の医師がやってくるのに、五分とかからなかったろう。壁に設けられた酸素供給口なのだろうか、直ぐに呼吸装置をとり付けるよう指示がとんだ。が、除夜灯の明るさでは暗すぎるのか、すでにとり付けられていた酸素吸入用のアダプターがじゃまになったのか、手間どっていた。日頃使用しない器具のうえに、夜間ときている。患者はいま目の前で生死を彷捏って

いる。慌てない者がいるだろうか。医師は手動式のポンプ送風器で、谷田さんの口の中へ空気を送り込んでいるようだ。

 谷田さんの家族や親類の人達が、奥さんの知らせでかけつけたのは、三十分程経った頃だった。医師が云った。

 「大丈夫です。どんどん呼びかけてください。本人が安心するから、名前を呼んでください。さあ、はやく!」

最初に息子らしい男の声が部屋の中で響いた。

 「じいちゃん、しつかりせんな!」

 「俺がきたバイ! 広通がきとるバイ!」

 「……」

 「じいちゃん、俺タイ!」

 「……」

 「ユ力もきとっバイ!」

 「……」

 「はよ、ユカちゃん。じいちゃんば呼ばんね!」

 「……」

 「じいちゃん……て、ユカ呼ばんね!」

 「……」

 「ユカ!はよ!」

 「……」

 「じいちゃん」

 「……」

 「じいちゃん!」

 「……」

  私は毛布の下で腕時計の針をじっと見つめながら、耳を敲てていた。やがて一時間程すぎた頃、谷田さんのベッドは別の部屋へと移動した。

 冴えきってしまった私の頭の中から、喘息の発作のことなど、すっかり消え去っていた。汗の流れは止まっていたが、やや冷たくなった肌着が、身体に巻きついていた。看護婦に着替えの手伝いなど頼める事態ではなかった。何も手伝うことのできない自分を、何かしら悲しく思った。入院以来書いていた闘痛ノートをそっと引き寄せ、この一時間余りの成り行きを、ゆっくり思い出しながら次のような記録を残した。

 

 02:35 谷田さんトイレより戻り、ベッドに足をかけ上

ろうとするが「イタイ」と叫ぶ。

 02:37 やっとベッドに上り奥さんの名前を呼ぶ。

 02:38 呼吸が苦しいので吸入器を持ってくるように看護婦へ連絡をたのむ。向いのベッドの瀬戸さんを起こす。

 02:40 吸入器と送風器を持って看護婦走ってくる。奥さんは親族へ電話のため走る。

 02:41 五階の当直医と主治医の自宅へ連絡おわる。

 02:42 看護婦、谷田さんの名前を呼びつづけている。「先生、はやく!」と不安そうな声聞える。

 02:43 送風ポンプの具合が悪いのか「ブボーッ、ブボーッ」の音聞える。

 02:45 当直医到着。送風再開。

 02:47 隣のベッドの患者(あす眼の手術をするので、睡眠薬を飲んで寝ている)に、ロビーへ出てくれるようにたのむ。

 02:49 壁の排出口への器具のセットうまく行かないようだ。

 02:50 他の吸入器具搬入。

 02:53 空気の送られる音が規則的に聞える。

 02:54 急いで隣の患者とベッドを看護婦がロビーへ誘導。

 02:57 医師の呼びかけに「ムゥーツ……」とうめき声。一時蘇生成功か。送風音つづく。

 03:12 親族到着。

 03:22 ピクピク音(何の音か想像がつかない)聞える。二秒間隔くらいだ。

 03:25 ピクピク音や不規則、四秒ぐらいで変化。

 03:30 ピクピク音二~三秒ぐらいに縮まる。

 03:35 「息が戻ってきだした。蘇生の可能性がまだあります」と医師の声が聞える。

 03:37 規則的なピクピク音また聞える。四秒間隔ぐらいだ。

 03:42 ピクピク音不規則になる。

 03:47 ベッド室外へ出る。

 

 翌日、私は子供達へ手紙を書いた。手紙を書きながら、先人達の教え以上に、人の生命のはかなさを感じていた。

 

 節雄君と秀雄くんへ

 今日は、昨日と同じように、左手に静脈注射を三本 (二〇〇mlを二本と五〇〇mlを一本)打ちます。入院してもう五日目になりますので、だいぶ元気に成りました。

 三十日の夜、同じ部屋の谷田さんというおじさんが、急に息が苦しくなってとうとう亡くなりました。看護婦さんとお医者さんが一生懸命に手当てをしたのですが、残念ながら亡くなりました。一生懸命に仕事をする人は、本当にすばらしく美しいと感じました。

 実をいうと、谷田さんは昨日とても元気でした。もう病院での治療は終ったので、自宅でゆっくり時間をかけて、栄養をとって元気になりなさいと、お医者さんにこの部屋で言われていました。お父さんは、昨日の午後二時頃この部屋にきたばかりなので、夜急に亡くなるなんて、とても信じられませんでした。「孫のユカがお見舞にきて、俺の生命を救ってくれた」といっていましたし、部屋の人から便せんをもらって、ベッドの上に腹ばいになり、ユカちゃんへお礼の手紙を書いていました。おばさんは、「今度の祭ば、いっしょに見に行こうか」といっていました。

 その夜お父さんは、セキが出て汗をかきましたが、もうちょっと頑張ればと、自分にいい聞かせて、二時半ごろになった時、谷田さんの事件が起きました。事件がおさまったのは、もう四時頃になっていました。朝八時すぎに、谷田さんが亡くなられたと、隣りの奥さんがおしえてくれました。

 約四時間ぐらい汗をかいたままで、じつと毛布にくるまっていました。その間、西部劇でインデアンがたき火の近くで毛布にくるまったまま、汗を出し切って病気をなおすシーンが、何度も頭の中に浮んできました。ひょっとしたら、谷田さんがお父さんを助けてくれたのではないかと思っています。次の日の診察では、とても回復が早いと先生に云われました。

 お父さんの仕事と同じように、看護婦さんも仕事で病気の人の手助けをしていますが、昨日の看護婦さんの一生懸命な姿を見ていて、尊敬の愛を感じました。

 愛とは、他人を自分と同じように信じて扱うことだと思います。節雄君が自動車を好きで、秀雄くんが野球やサッカーが好きなこととは、全然ちがったものです。こ

のことは、二人がもっと大人になれば、きっとわかるでしょう。愛がわかる人になってくれたら、とてもうれしいと思います。

 お父さんも頑張りますので、二人でお母さんの手伝いを、自分からすすんでして下さい。秀雄くんは、お父さんの入院について、ぜひ作文を書いて下さい。人は感動した時に、その気持ちをかくさずに書いたり、話したりすることが、とても大切だと思うからです。

 では、また…。手紙を下さい。   父より              

 

 後で聞いたのだが、谷田さんは喉の手術もしていてまだ喉に残っていた糸が、ベッドに上るときに切れたのだった。そのため閉寒状態となり、送風器の細い管さえうまく入らず、とうとう他界したとの事だった。

 翌朝、その夜勤務だった二人の看護婦が、他の看護婦たちと少しも変らぬようすで、患者に薬を渡し、健康状態を問診して廻る姿を見た時、私の心の中に何か熱いものが湧いてくるのを押えることが出来なかった。谷田きんの病気が癌だったと知ったのは、さらに数日後だった。

 

 ひと月たらずの入院中に健康の大切さを知った。重病患者に付添った家族の苦労は、言葉などでは云い表わす事のできない程、過酷なものである事も知った。床に、あるいは患者のベッドの下に布団を敷き、月に一~二回しか風呂に入られず、食事は毎回売店でパンと牛乳を買うか、パック詰めのご飯を食べながら数ヶ月を、長くなれば一~二年を病院で暮すのである。

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 ベッドの上で付添いの人達を見ながら、ふと次のような事を考えた。へたに健康生活指導を行うよりは、二~三日入院して重病患者と同じ部屋で暮してみたらどうだろうか。ベッドの上でただ座っていたとしても、健康回復をめざしてたゆまない努力をする姿や、付添い者の患者に対する姿から、きっと多くを学ぶにちがいあるまい。

 何の役にも立たずに一カ月後、なんとか退院することになった私は、患者の立場から気付いたことを、売店で買った小さなノートに、約四十項目ほどメモをして主任看護婦に提出した。いつの日か、施設の改善や看護に役立ててくれることを願いながら、妻と二人でまだ冷たい風の吹く病院の玄関を出た。                                 

                    (了)

 

      〔全電通九州文芸 第二号〕

       全電通九州文芸連盟

       全電通九州地方本部 

       昭和61年6月1日発行

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