金 庫
問 一矢
営業成績主義の施策が進められていくなかで中小企業の建設会社の生き残りは熾烈を極めていた。部屋仕切りのないフロアには柏田の外に数名の社員が残っているだけでひっそりとしていた。建設資材開発担当の柏田は、もう二十年も同じ仕事をしていた。ビルの外壁や内装も仕事範囲で建設現場での足場鋼材開発までも取り組んでいた。ビル建設に関わりながら柏田の関心は四人家族の一般住宅へ向いていた。既に十年以上も前に政府が提案した五百万円住宅建設計画に乗って、大手メーカが二~三の見本品を発表したが、当然のことながら採算が合わないと、どのメーカもアドバルーンを上げただけで置き去りにした。核家族化した持家政策も景気が悪くなり、そう簡単には実現しないとなると、大型の三世代住宅を発表しては高額収益を上げるのに懸命だった。
電話のベルが鳴ると柏田はいつものようにコールが三つ鳴らないうちに受話器を取った。
「弁護士の今田と申しますが広田義満様はいらっしゃいますか」
弁護士という言葉が耳に入るやいなや一瞬柏田は姿勢を正して気構えた。
「広田は今年の春に東京へ転勤しましたが、どの様なご用件でしょうか」
「イベントの入場券についてなんですが・・・ 実はもう一カ月程も前に、そちら様の総務部へ文書をお
送りしましたが、まだ何もご返事を受け取っていないものですから・・・」
またかと柏田は思った。お客様の問い合わせには何事にも素早く対応するのが会社の方針だから、全社員よく理解して応対するようにと、常日頃から社員に発破を掛けている総務課の言行不一致は、いま始まったことではなかった。
「総務課へ連絡しまして、直ぐにご連絡致します」
電話を切ると二階の事務室へ急いだ。相手は弁護士である。何か事件がらみならば、噂高い社員に知れるとまずい。総務課長の電話が終わるのを待って秘書室へ入った。詳しい内容は判らないが、弁護士から斯く斯く然々の問い合わせだと伝えて、取り合えず直ぐに返事をするように頼んだ。
いつもと違ってやや緊張した事務員の声がスピーカーから流れ会議室へ管理者の集合が掛けられた。ひょっとしたら先程の件かなと柏田は思ったが、そうではなくて数日前から実施されていた監査の講評への招集だった。直接業績評価につながる監査がある度に、経理業務に疎い管理者の大半は何か落ち度を指摘されはしないかと、ビクビクしていた。例年の事ながら、現場では本監査の一カ月程前から模擬監査として自主点検が実施され、不備な点の対策がバタバタと打たれた。しかし指摘事項は毎回同じようなもので、自主点検項目の中には「実際には誤っていたのに、誤っていないと偽りの報告をしていないか」等という、謎めい
た点検項目さえ現れていた。一体全体本気で改善しよ
うとしているのか甚だ疑わしいものだと柏田は日頃から感じていた。
監査講評に出るため会議途中で抜け出して来た小柄な今村部長は、普通でさえ大きな目玉を剥きだ
して部屋の中を二度三度と眺めまわした後、総括担当の長門課長はまだ戻らないかのと最古参の佐々木係長にたずねた。総括担当の課長が監査講評に出席するのは恒例なのだ。課長代理として出席してくれと言われた佐々木係長は、明日の緊急幹部会譲資料がまだ半分も出来ていないからと体良く断った。
五年間の本社務めを経験し僅か三十歳そこそこという若さで、研修地だったこの支所の総括部へ、今村部長は今年の春に戻って来たのだが、他の管理者同様に経理業務となると門外漢に等しかった。それだけに監査講評となると、少しでも経理内容に詳しい者を同席させたかったのは言うまでもなかった。しかし最古参の係長に命令するほどの気概はさすがにまだなかった。誰か適当な部下はいないかという眼差しでもう一度部屋のなかを見回した。柏田はいやな予感がした。今村部長は近づいてくるなり口調を和らげて、長門課長が居ないので監査講評に出てくれないかと切り出した。予定していなかった柏田はまだ作業も残っているし、自分の仕事を代わってくれる者もいないので出席は遠慮させてくれと答えた。新参部長に対して少々無下な返事かと思ったが、会議に出たために遅れた自分の仕事は残ってしまう。開発担当の職場は他人に直ぐ代われない特殊な仕事だった。
「そうですか」とぼつり呟くと、長門課長が帰ったら至急講評を聞きに来るようにと佐々木係長に言い残して早足に部屋を出て行った。
監査講評が終わって今村部長が戻って来たのはもう午後五時を少し過ぎ、外出の社員も帰社し夫々戻り支度の最中だった。直ぐに佐々木係長を呼ぶと何やら深刻な表情で話し始めた。話しながらちらちらと眼差しをこちらの方へ向ける気配を感じて柏田は又いやな予感がした。
「五時を過ぎていて悪いが、ちょつと部長席に来てくれないか」
と佐々木係長に言われて、やれやれお上の話はいつも終業間際だと内心思いながら柏田は仕方なく腰をあげた。
「何か指摘事項でもありましたか」
近づきながらたずねた。今村部長は傍らにあった折りたたみ椅子を引き寄せて柏田に勧めながら監査結果を切り出した。幾つかあった指摘事項の中に、ある部署での金庫の保管品が問題となっていた。いつもそうだ。預かり物のテレホンカードが入っていたり、親睦会の会費や旅行積立金が入っているのだ。金庫には会社に関するもの以外入れてはならず、こんな物を入れて置くのがそもそも間違っているのだ。それよりも事前の自主点検で指摘されたはずなのに、何故本監査で指摘されるまで措置されなかったのか、そのことこそ問題だった。
金庫の中にあったのは、今年の秋に開催予定の
地区イベント入場券三十枚だった。通常金庫内で
管出来る物は、証券・債券や小切手類のほか現金相当品であるタクシーチケットや郵便切手および現金出納簿等の限られた帳簿のみと定められている。
理由は簡単だった。課毎に販売を振り分けられたイベント入場券が残っていたのだ。もともと社員が買わなければならないものではなく、すでに一般社員より多い枚数を割当購入させられた課長も、更に引き受ける意思はなく、残りの券を金庫に入れたままにしていたのだ。
監査員に「総枚数で何枚作成したのか」と問われて事は大きくなった。イベント主管部門以外の管理者は知らない程度の関心事だつた。どの様な販売計画し現在の販売収益は幾らなのかと切り込まれた。販売枚数によってはその収益と使途が更に問題となる。このイベントは昨年夏から柏田のいる総括部で計画され歳の暮れには動き出していた。
大方のイベントは主催者の多額の出費で終わるのだが、今村部長の前任者である広田部長は業務成績施策として「いけいけ業績向上」をスローガンに、イベントの入場券販売収益を目玉に据えた。当初五千枚の売上目標は取組を開始して二カ月も過ぎないうちに一変して数万枚に膨れ上がっていた。数百枚単位で各部に割当て、それ以外は関連会社への引受割当が始まった。百枚単位の割当が来ると、五万円という資金の捻出に関連会社の中には引受を渋る者も多かったが、今後の商取引を考えると首を横に振れないのが現実だった。結構名の通った小会社にも千枚がまわされ、五十万円の捻出に頭を悩ます者も出ていた。
テキストです。ここをクリックして「テキストを編集」を選択して編集してください。
こんな経緯を後任の今村部長は全く知らなかった。イベント主管の総括部で入場券の管理を担当していたのは柏田の上司の開発課長だったが、春の異動で転出していない。後任の課長は新任管理者の研修出張中でこの数日間は不在である。課長に代わって調査をして欲しいというのである。課長が単独で担当していた作業内容を急に聞かれても柏田は返答に困った。それよりも何と愚かな社貞が自分の会社にいるのかと思うと嫌になった。監査ということの意義を理解出来ない管理者の存在にも、全く呆れてしまった。
柏田は今村部長のややひきつった顔色を伺いながら聞き返した。
「監査が実施されるという事前周知も行われていたし、自主点検も実施したはずなのに、この間題を指摘されたことについて、部長はどんな対策を採られるつもりですか」
予想もしなかった十歳年上の部下の質問に、今村部長はぐつと顔をあげ、まるで怒ったように目を剥いて柏田を呪みつけて言った。
「どんな対策って・・・」
それ以上の言葉が続かないのをみて、いつものように漠然とした指示しか出さない部長に柏田はやや腹立たしさを覚えた。
「金庫内の保管品の問題は、監査の都度どこかの部署が必ず指摘されていますよね。それが解消されないのは、いくら自主点検をやっても帳面消しの点検に終わっている からだと思うんですよ」
「そうなんですよネ・・・ 皆がいい加減にやっているんだもんなあ」
「部長は社内を指導する立場にある総括部の部長でしょう。いつも支所長のバックアップ部隊が総括部だって言ってますよね。どんな具体的な指導を採られるのか聞いてるんですが」
「そりやあ、皆でやるんですよ」
「皆でやるなんて、そんな漠然とした指導では決して改善されませんよ。今回のような問題は、指摘された課の課長に責任があるんでしょう。こんな時わが社にはペナルティがないから、いっこうに改善などされないんだと思いますよ。そんな課長のとばっちりで私達の作業にシワ寄せが来てはたまりませからね。調査も課長にやらせたらどうですか」
柏田の言葉が終わらないうちに今村部長の顔色は蒼白となった。
「皆でやろうって言っているのに、じやあ柏田さんはやらないんですか。全社員で改善しなければ良くならないでしょう。貴方には会社を良くしようとする愛社精神がないんですか」
何が愛社精神だと柏田は思った。
「ええ、こんなやり方には私は賛成できませんね」
具体的にどう対処すればよいのか、今村部長の頭には浮かばないようだった。そして日頃から何かと反論する柏田に、また嫌悪感を抱いたようだった。部内会議の終了時間がいつも守られないと、時間厳守を一番に言いだすのも柏田だった。他の社員は内心手を打って柏田を応援したが、けっして自分から
言いだす者はいなかった。こんな柏田を幹部連中は苦々しく感じていた。
建設資材の開発が柏田の仕事だったが、この開発は顧客の苦情や改善意見を取り入れた方針に沿って進められた。従って採用した提言が他の機能を阻害することはないか、あるいは新機能が新たな障害を発生させないか、実にきめ細かい検討と試行錯誤が完成への必須条件だった。こんな作業を長年続けていると、何の改善についても何処に真の原因があるのか徹底して追求し、悪い点を根底から排除する思考習慣が身にしみ込んでいた。やってみなければ分からない等という考え方や、皆でやろうという掛け声行動はタブーだった。
本社開発の多数の商品が市場に出回った後、強度不足で損害賠償が起こり裁判沙汰になったり、品質劣化をマスコミに指摘されたりしているのをみると、柏田はいつもがっかりした。発売前に「試用委員会」を社内に設置して徹底的に調査すべきだと提言したのも柏田だった。
「そうすればいいなあ」とは言っものの、柏田の意見が採り上げられることはなかった。結局入場券に関する調査は長門課長が行うこととなった。一週間程が過ぎた日の午後柏田は電話を受けた。例の弁護士からだった。まだ連絡を一度も受けていないという。直ぐに返事の電話を入れるからと詫びて階段を駆け上ぼった。総務課長をつかまえるなり、なぜ弁護士に返事をしないのかと詰め寄った。
「今本社に相談して検討しているから」
というのが返事だった。検討中であると何故弁護士
「受け取った文書を見せてくださいよ。ちゃんとあるんですか」
と詰め寄った。柏田の声を聞きつけたのか、支所長の顔が隣の部屋からちらりと覗いた。
「文書はあります。分かりました。直ぐに電話します」
と総務課長の態度が一変した。
「電話をしたら結果を私に報告して下さい」
と言い残して柏田は部屋を出た。自分の会社に哀しさを感じながら机に着いた。何故入場券のことで弁護士が動いているのだろうかと疑問が湧いてきた。収益向上に浸りきった営業方針が、仕事の基本を忘れさせて行く恐れを感じた。きっと関連会社をも蝕んでいるのではないかと想像した。金庫の管理について指示文書が発出されたのは一カ月も後のことだった。
(了)
〔全電通九州文芸 第十二号〕
全電通九州文芸連盟
全電通九州地方本部
平成8年8月20日発行