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七.一+一は五

 

 私は歌詞を作ることに不安だった。というのは水俣病の理解が不十分でしかなかった私が患者の気持ちにさせられたのは、「苦海浄土」と「水俣病は解決したか」 の資料だけだった。しかも後者はわずか二十頁足らずのものだった。だから無関心な人たちに(私もこの部類に入れるべきだが)水俣病の本当の恐ろしさ、惨たらしさ、そして独占資本の身勝手な営利主義を伝える歌詞が生み出せるのか私の頭から片時も離れなかった。

 こんな本をあと数冊読みたい、否読まれば水俣病を真に理解し得ないと感じた。こう思って熊本県支部の図書棚をあさったがない。水俣病を書いた書物が見当たらない。がっかりした。何気なく水俣病関係の詳しい本はないかなと言葉が漏れた。 丁度熊本県支部の田中書記長がいた。書記長は「企業の政治学」という本を私に勧めてくれた。私は早速借用して読み始めたら、その内容がかなり詳しいので、自分でこの本が欲しいと思い発行所から取り寄せた。著者の宇井純氏は九州大学教授の医者で、水俣病の原因解明について早い時期から研究をされていた。最後まで読んでみたが「苦海浄土」に勝るものではなかった。結局この二冊を加えて全七冊が私の資料となった。

 

       青い海原と 澄んだ空の間に

     風に吹かれて 小舟を浮べ

     潮で炊いた 米の飯

     天より授かる 無塩の魚に

     焼酎呑んで 栄華の暮し

 

     今日も 日差しは

     それ程 暑くも無く

     肌に着く風 もう寒くない

     夏の初めの 朝の海

     靄に霞んだ 天草の島を

     七色に染めて 太陽が昇る

 これが最初の一番の歌詞である。いったい本当の栄華という暮らしは、どんなものだろうか。それは真っ青な空の下で、青く澄んだ大海原の真ん中に小舟を一艘浮かべ、吹き起こる微風にまかせて漂いながら、海水で炊いた米の飯を食べることだろう。そして漁に疲れた後、いまとったばかりの天から授かりものである魚を刺身にしながら、焼酎呑むその心地よさ。これがまさしく栄華の暮らしというものであろうか。昔殿様は栄華を極めたとは言うが、今舌の上でとろける刺身を口に呑む焼酎の味にはかなうまい。と石牟礼道子氏は記す。

 

 夜通しの漁が終わり疲れて気がつくともう明け方。靄にかすんだ彼方から太陽が昇ってくる。夏の初め頃には風はもう肌寒く感じず、かと言って太陽の日差しが暑いわけでもない。こんな頃が一番気持ちがいい。遠くには天草の島々が靄にかすんで浮いて見え、太陽の光は靄に反射して七色に映える。こんな素晴らしいところがこの世のどこにあろうか。

 

      空は唐から 天竺まで

     海は南洋 ルソンに続き

     人の世の 苦海忘れて

     今わが舟は 極楽浄土

     ここが故郷 不知火の海

 

     やがて西風 吹き始まり

     帰り着くのは 水俣の海

     さざなみも 瞼のような

     海の底には 湧く石清水

     ここが故郷 不知火の海

 二番目がこの歌詞だ。雲がひとつない空を見上げれば唐から天竺までも広がり、そして深い青さを漂わせる海は南洋・ルソンまで続いている。こんな雄大な自然の中に自分がひとりいることを思うと、世の中の芥にとらわれている時を本当に忘れてしまう。そうだ、こ舟の上にこそ極楽浄土があるのだ。

 ねぐらのある水俣の海に帰るには西風が起こるのを待っていればいい。西風が出さえすれば、ただ帆をあげるだけで帰り着くのだ。昔は海岸から清水が流れ出し、老人たちはきっと海の底にも石清水が湧き出ているに違いないと言うほどに澄みきっていた海。ここが私の故郷不知火の海だ、と石牟礼道子氏は続けて書き続ける。

 

     知っていますか 奇怪な病気

     よだれを流して よろよろ歩く

     月の浦での 猫の話

     まるでお酒に 酔ったよう

     狂って舞い出し 駆け回る

     ひとりで海へ 身投げの話

     人は名付けて ハイカラ病

     ヨイヨイ病に ツッコケ病

     こんな不思議な 病の話      

 

     とうとう人も 病に落ちた

     手足がしびれて 言葉が言えず

     眼さえかすんで 千鳥足

     耳もそのうち 遠くなり

     身体も思いに 動かせず

     全身痙攣 食事もできず

     犬のような 叫びをあげて

     最後にとうとう 死んじまう

     信じられない 病の話

 

 ある日水俣に奇妙な事件が起こり始めた。それは猫がひとりで海に飛び込んで溺れ死にするのだ。おまけによだれを流してまるで酒に酔ったように、よろよろ歩くではないか。こんなことが月の浦地区で頻繁に起こり始めた。やがて猫は狂ったように舞い出して、急に走り出しては壁にぶつかる。自分でぶつかるのを止めることができない様子だ。みんなは面白がってハイカラ病とかヨイヨイ病とか名付けた。しかしこんな不

思議な病気が一体あるのだろうか。これが月の浦の人たちの心を曇らせるただ一つのことだった。

 ところがどうしたことか今度は人間が病気にかかり出したのだ。初めは手足が痺れだし、今まで難なく話していた言葉が、まるで言語障害があるかのようにできなくなる。やがて目がかすんで物が見づらくなってきて広い範囲が見えない。そのうち耳も遠くなり、とうとう寝床についてしまう。病気はただひどくなるばかり、ついに身体を自分の思い通りに動かせなくなり、最後には全身痙攣を起こして死んでしまう。全くもって信じられない病の話だ。

 

     朝の六時に お茶を沸かし

     昼の十二時 御飯を炊いて

     焼酎買いは 午後四時半

     仙助爺さんは 村時計

 

     剣豪小説 夜更けを知らず

     いつの間にやら 仙人暮らし

     戦争に行った その身体

     仙助爺さんは 豪傑者

 

     その老人さえ 舟板の小屋の

     壁にもたれたまま ついに死んだ

 

 朝の六時になると水俣湾を見下ろす高台の上に白い煙があがる。いつも通り老人がお茶を沸かしているのだ。この老人の名は仙助という。まるで時計のように毎日毎日定まった暮らしをする。昼の十二時になるとご飯を食べるし、午後四時半になると無塩の魚を肴に飲む焼酎を買うため、線路ずたいの坂道を歩いて行く。村人は皆な仙助老人のことを村時計だと言った。

 

 この老人は、かって戦争を経験しているが身体は丈夫そのものであり、軍隊で功労賞を受けたほどだ。だから病気ひとつしたことがなく、今では子供達も独立

して一人で生活している。俗世間に愛想を尽かしたの

か一人高台に住み、昔から大切にしていた剣豪小説を毎日夜遅くまで読んでいる。こんな仙助老人の暮ら

しを見て村人は皆んな『仙助老人は仙人暮らしをしておらす』と言っていた。

 

 ところがこんなに健康な仙助老人さえとうとう水俣病にかかってしまったのだ。そして高台にある舟板を打ち付けて補修した小屋での生活に終止符を打ってしまった。近くに住む子供が、ご機嫌伺いに来た時にはもう死んでしまっていた。

     生まれながらに 病に罹り

     手足も巧かず 眼rも見えず

     何から何まで 他人まかせ

     権現様にも 首振られ

     なのに眼だけが 澄んでいる

     男の子の 侘しい人生

 

     四歳の時に 病に罹り

     再び浜辺を 走られず

     魂さえも おっ取られ

     耳も聞こえず 眼も見えず

     笑顔見せずに 寝たっきり

     女の子の 哀しい人生

 

 水俣病は子供たちをも食い荒らしてきた。杢太郎少年は生まれながらに病気にかかっていて、手足は勿論身体は自分の思いのままにならない。母親はいずこかに去り、ばあさん・じいさんの手を借りて一日暮らす。守り神である九竜権現様も杢太郎少年の病に見通しすら与えてくれない。眼が見えないのに杢太郎少年の開いた目は、まるであの清々しい空の青さか、または深い不知火の海の青さのように澄みきっている。本当にわびしい人生なのだ。

 ゆりちゃんは四歳の時に病気にかかり、それまで夏になると浜辺を裸足で走っていた生活からは思いもよらず、耳も目もきかずにまるで魂さえも盗られてしま

ったよう。魚やミミズさえも魂を持っているのに全く寝たままの姿は何としたことだ。あの時から笑顔ひとつ見せてはくれない。悲しい寂しい人生なのだ。

     魚もミミズも 魂あるに

     うちの子供にゃ 何故にない

     病気で死んだ 魂は

     仏が拾って くれように

     水銀呑んで 溶けた子の

     魂誰が 拾うのか

 

     神や仏の 真心に

     情けと言う字が 読めるなら

     この子を一度 歩かせて

     この子を一度 しゃべらせて

     この子に笑いを 返してくれ

 

     一度病に 罹るが最後

     狂って死ぬか カタワになるか

     医者の手だても 無いと言う

     獣が無理やり 殺される

     断末魔の 苦しみを

     何故に受けねば ならぬのか

 

     こんな病気に 何故なった

     こんな病気に 誰がした

 

 一度病気に罹ると医者でも治る見通しがつかない。というより治す方法が見当たらないのだ。おまけに患者たちは狂って死んでしまうか、もし万一生命を取り止めたとしても、不自由な身体になり一生を寝床の上で過ごさねばならない。その苦しみは獣を無理やり殺す時の断末魔の苦しみと言っていいだろう。一体なぜこのような苦しみを受けなければならないのだろうか。一体誰がこんな苦しみの種をまき散らしたのだろうか。

 ここからは加来が私の原詩を補正してくれた。

 

     独占資本の 見せかけだけの

     高度経済 成長が

     働く者や住民の

     命と健康 軽く見る

     資本の利潤 第一主義

     資本の生産 第一主義

     これが真の 原因だ

 

 ただひたすらに利益を漁る僅かばかりの猛者のために、聖なる医者も資本に飲み込まれて金力と権力につく。自然も人も食い荒らして環境破壊の愚か者。奴らをこれ以上許すな。

 

 こんな難病の原因は独占資本主義の見せかけだけによる高度経済成長だ。その裏で置き去りにされた住民や労働者の生活環境の実態だ。会社の大きな設備投資の余りで行われる住民への生活保障、つまり独占資本主義の利潤第一・生産第一主義のなせる技だ。これが真の原因なのだ。

 

 ただそれだけではない。本来ならば人間の生命を守るためにあるべき医師たちまでが、資本の圧力に負けて金力と権力に脅かされている。だから人間たちも自然を無視して環境改善など本気で一度も考えず突っ走る。資本主義体制そのものを一体全体許していいものだろうか。許すことは絶対にしてはならないのだ。

 

     海を返せ 空を返せ返せ

     空と海の 間にこそ

     我らの 平和がある

     海を返せ 空を返せ返せ

 

 我々の先祖が住んだこの土地を、そして我々と我々の子供たちが住むこの空と海を、我々の手に取り戻さ

ねばならない。我々の平和は常に自然の中にのみあるのだ。今の独占資本社会が続く限りにおいて人間尊重などありえない。我々の手で空と海を取り返えすのだ。

 

     身体が資本の 働く者よ

     生活の環境を 今一度

     あなたのその目で 確かめよう

     あなたのその手で 確かめよう

     あなたの町に 水俣病が

     あなたの知らない 公害がある

 

 身体という資本しかない私たち労働者は、毎日の生活を健やかに暮らすこと以外に喜びなどありはしない。水俣病はこんなに恐ろしい病気だと知ることはできても、今我々の周囲で起ころうとしている多くの病気には、水俣病と同じく全く治療方法が見つけられないものが数多くあると医者や科学者は言っている。我々が水俣病に、否それ以上の得体の知れない病気にかかる恐れは沢山あるのだ。そのためにはどうすればいいのだろう。水俣病の患者たちはこう言っている。

 『水俣病を他人の病気だと思ってくれるな。あなた自身が明日かかるかもしれない恐ろしい病気だと認識して、あなたの町に又その近くに建てられる工場の無管理に目を光らせて欲しい。そして二度と水俣病のような恐ろしい病気を発生させないように、みんなが一丸となって闘ってほしい。』

 この言葉を我々はもっとよくかみ締める必要があるのではなかろうか。だから我々自身が自分の手で生活環境を確かめる必要があるだろう。我々の知らない公害を起こさせないためにも。

 私はこの歌詞の意味を皆に詳しく説明した。そしてテレビや新聞に日頃から注意するように話した。すでに水俣病問題は裁判闘争に発展していた。

 

 私は熊本県の社会福祉協議会から八ミリ映写機を借

り出し、東京の社会福祉協議会本部から八ミリ映画フィルム「水俣病」を借り出した。いま作成中の構成

詩「空と海の間に」を歌唱するにあたって、心構えを充実させるために良いのではないかと考えた。市内合唱団に集まる仲間に呼びかけて映写会を開いた。

 「苦海浄土」に書かれていたように、実際に猫がよろよろ歩く姿や、よだれを垂らして横たわる姿やぴょんぴょんと三十センチ以上も飛び上がる姿が映し出された。杢太郎少年やゆりちゃんの姿も撮影されていた。残念ながら集まった市内合唱団の仲間は数名だけだった。

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