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  〔中期百八頁まで〕

 

九  俳句迷考(一)

 

十  学校に世界共通語を

 

十一 厚い教育機関の壁

 

十二 燦(ほむら)

 

十三 連句はいかが

 

十四 その後の私

 

十五 ザメンホフ博士のプレゼント

 

十六 地方行政へのぞむ新教育

  九 俳句迷考(一)

 

             橋口成幸 (佐賀退職者)

 

 俳句の特徴は「五七五」「切れ字」と「季語」である。何冊かの入門書を読んだが、「切れ字」には「や」「かな」「けり」などがあるという例句紹介に終始しているものばかりである。

 私は町の図書館にある俳句に関する本を全て読んでみようと考え、五冊程読み終えたころで、清水杏芽氏の評論集『間違いだらけの俳句鑑賞』(洋々社)に出合った。清水氏の主張の概要は次の通りである。

 

・・・俳句で大切なのは「五七五」と「切レ」である。「切レ」のない作品は、俳句に似た【モノ】で俳句とは別のものである。この傾向は近年著しく、NHK俳壇においても、現代著名俳人達が俳句でないものを推奨しているために、本当の俳句が見失われつつあり、伝統文学としての俳句は危機に面している。

 清水氏が書いた別の書籍を図書館で探したが見つからない。福岡市内の大きな書店で、やっと『俳句は「切レ」がいのち』(沖穣社)を買った。現代俳句の乱れの検証として、概略すると次のようなことが書かれている。

 

・・・ 読売文学賞受賞の川崎展宏句集『麦』には四十六の「切れ字なし」作品があり、全作品三二二に対して十四%を占めている。第三十一回俳人協会賞受賞の深見けん二句集『花鳥来』では四十四の似非俳句があり、収録句数四○○に対して十一%にあたる。蛇笏賞受賞の林信子句集『樹影』では八

十五あり全六九○に対して十二%になる。

 

 さらに話題の俳人として飯田龍太著句集『遅速』では三三七中の三十三つまり十四%、坪内稔典著『』坪内稔典句集』では三六〇の中に四十一作品、つまり十一%が混在している。

 また、芭蕉・蕪村研究者として井本農一句集『徴茫』

では二九〇に対し二十九の十%、安東次男句集『花筧』では一九八の中に三十一あり十五%にも及んでいる。

 そして詩人の宗左近は『さあ現代俳句へ』の中で六十の作品を選び、大岡信は『折々のうた」』(第一~十集) で四十七を選んでいる。

 かの芭蕉・蕪村・子規の作品に「切れ字なし」作品は、僅かに一%以下のみである。

 清水氏の主張に私の心は大いに動かされた。これまで出会った俳句の中には、清水氏が指摘する「切レのない作品」が多数有るが、十分に私を引きつけるものがある。

 

 清水氏本人の作品集の紹介を求めて私は清水氏に手紙を書いた。返事を直ぐ受け取り自句自解集『俳句工房』(牧羊社・昭和五九年)を取り寄せて読んだ。心惹かれる俳句もあるが、残念ながら清水氏が「切レ」の問題に目覚める少し前の作品集であるため「切レ」のないと判断される句もある。

 清水氏は大正二年生まれで現在八十五歳、昭和十九年神尾静光氏に俳句の手ほどきを受け、宇田零雨氏に師事し、「双葉俳句会」を昭和二十六年に創立した。昭和五十六年には蔵書六千冊の俳句図書館「和香文庫」を静岡県の自宅の庭に造って一般に無料開放している。

 芭薫の奥の細道の全工程を辿って、芭蕉の俳句の検証もしている。

 

 清水氏の「切レなし作品」の解説はこうである。

 廃屋の奥の仏間の春の昼  龍太

 

 「廃屋の奥」「奥の仏間」「仏間の春の昼」と続いて切れ目がなく、春の昼を説明しているフレーズであり「切レ」の発生がなく、俳句は成立していない。例えば

 「廃屋や奥の仏間の春の昼」

とすれば、形としては俳句になる。

 

 「切レ」について詳しく述べた別人の本を探したが見つからない。困っていると、月刊誌『俳句』(九月号)の中に興味深い記事が見つかった。

 『俳句の基礎知識』(磯貝碧蹄館著)より裂字(きれじ)を紹介すると次のようになる。

【や】 助詞 感嘆・整調・疑問・呼掛・願望などの意味を表す。

   綿虫や山が溜息ついてをり

   山の端の夜明けを飛ぶや寒の鶴

【かな】 動詞 感嘆・詠嘆を表す。

   冬蝶の一羽で生きし月日かな

   かすみつつ片瀬に残る小鴨かな

【けり】 動詞 完了時の詠嘆・回想の詠嘆、その同時詠嘆に用いる。

   すべり出す蛇に重さのなかりけり

   夕花野風より水の急ぎけり

【よ】 助詞 命令・希望を表し、判断の確認や余情をうながす。

   礫像の首筋くろく灼くる日よ

   ふるさとの料亭うんか跳ぶことよ

【らむ】 助動詞 未然の推量、こうなるであろうことの想像に用いる。

   吹く夜は放馬いづくに眠るらむ

   人の寝し刻には雛の寒からむ

【ごと】 接尾語 【ごとし】助動詞 ある事を他の事に似ていることを比べるために用いる。

   蛙鳴くも帰郷のごとく退院す

   彼岸灸六根懺悔するごとし

【し】 助動詞 過去時の(き)の終止形より(し)の連体形の方が、温和・柔軟で多く用いる。

   春炬燵このまま死なばあたたかし

   深吉野の風雨に赤し烏瓜

【べし】 助動詞 想像・推量をして、義務・命令の意を表す。

   ふるさとの蕗味噌食べに帰るべし

   夜は秋の楽も終章眠るべし

【なり】 助動詞 動作・状態・事柄を指定・断定することに効果あり。

   雪国に鼻毛動くはいのちなり

   きのこ汁塩味濃くてあはれなり

【ず】 助動詞 動作・状態・事柄の否定・打消しの意を直載簡明に伝える。

   暖房の長押に何も見当たらず

   石蕗の蜂人の刺されしこと聞かず

【たり】 助動詞 動作の継続・完了・指定の意を表す。

   針唾遅へ春満月を見てゐたり

   雪国の足の大きな友来たり

【か】 助詞 詠嘆・整調・疑問を表す。   

   牛蛙汝も寂しと鳴く声か

   かの山のかの実なし栗月照るか

【ぞ】 助詞 ある事物を取りたてて指示、又ある一点の強調に用いる。

   水や火や厨の春のあけぼのぞ

   巣立鳥眼前常に潮時ぞ

【つつ】 助詞 存在・進行・継続の意を表す。

   梨満花剪定屑の山朽ちつつ

   年来つつありとの鏡も夢うつつ

【けむ】 助動詞 過去の動作・状態の回想・推量に用いる。

   矢車の今宵は鳴らず漫ねにけむ

   鬼胡桃癇癪どこにかたづけむ

【まじ】 助動詞 否定・打消しに用いる。

   地を駆けてゆく枯葉あり急ぐまじ

   吉野紙購ひ雷に打たせまじ

【ぬ】 助動詞 動作の終了完結を示す、また否定・打消しにも用いる。

   船出て披止に片陰なくなりぬ

   ベルト一穴緊めて寒林へと入りぬ

 

 私の俳句学習は、また新しい一歩を蹄み出さなければならない。

 

               〔九州文連通信第十一号〕

       全電通九州文芸連盟

       1998年 発行

   エスペラント奮戦記(一)

  十 学校に世界共通語を

 

          橋口成幸 (佐賀退職者)

 

 九十八年七月に教育課程審議会答申(以降審議会答申)が出された。十年ぶりの教育改定だと言う。九十九年春には新指導要領が作成され本格的に二千二年から週五日制教育への取り組みが始まった。実は九十七年秋から既にこの検討は始まり 話題になった新設定の「総合的な学習の時間」(以降総合的な学習時間)に対する試みを、早くも九十八年四月から開始した幾つかの先進的な学校もある。

審議会答申で重視された課題は多く、これまでの言わば戦後五十年にわたる学校教育の問題点を正面からとらえ、新しい教育のあり方を提起するものだ。

 例えば教育を学校内のものとしてだけ捉えるのではなく 家庭や地域や杜会と行動を共にする生涯学習という線で捉え直そうとしている。最も注目すべきは記憶主体教育と言われがちだったこれまでの評価方法を、学習課程や習得態度も評価し、最終到達点に至らないとしても、その過程での生徒の努力と成果を評価しようとする試みであろう。

 

 この「総合的な学習」は小中高校にわたって教育指導要領で設定され、年に七十時間から百時間、高校では最高二単位が取得出来るようになっている。 これらの改善の背景には現在の学校崩壊や大人社会を無視したかのような若者たちの日常生活態度を正直に受けとめ 「ゆとり」と「生きる力を身につける」教育を目標に据えようとしている。

 学校崩壊や大人無視とも言える生活態度の原因が何に起因するものか一言では言い表すことが出来ないし、その真の原因の一つでも明確に指摘出

来ない大人杜会にこそ真の問題がありはしないかと言うのが大方の正しい見方であろう。はっきり言えることは、このような子供たちを育てたのは間違いなく大人たちが造った今の社会であるという事実だ。学歴杜会を重視し塾杜会をこれ程迄に繁栄させたのも大人である。同じクラスの友達に対してさえ成績や受験のためなら足の引っ張り合いに似た行動も辞さない傾向は、きっと大人たちの過剰な期待の亡霊と言えないだろうか。

 

 学歴杜会への暴走は、私が高校を卒業する昭和三十五年頃すでに始まっていた。いわゆる駅弁大学と言われるほど多数の大学が雨後の竹の子のように現れ高校卒業後就職する者は五割以下だったと記憶している。自由気儘な大学生活の我が子への仕送りに多くの労働者の主婦はアルバイトやパートを始めていた。鍵っ子が生まれ、やがて進んだ少子化は子供に忍耐と協調精神を欠落させ、子供の言いなりになる大人杜会が形勢されていったと言えないだろうか。それでも終戦直後の生活苦や肉体労働の厳しさから我が子だけは解放させたいと願いつづけた行為の結末が、現在の若者杜会を生み出したといっても過言ではない。

      *****

 パソコンやコンピュータゲームの中の痛みを感じることのない殺戮の世界に埋没して、友達と心の通い合った人間関係を無くし孤立していった子供たちの人生に何が不足しているのかと問うよりも、人と人との関係の中で感激や感動する行為を人生の先輩として何も与えてこなかったことに、大人たちがやっと気づき始めたというのが本音だろう。

 

 インターネツトやパソコン通信でのメール交換による見ず知らずの他人との会話でも心の交流は出来ると言う人もいるが私は大いに疑問を抱いている。確かに不特定多数の仲間から色々なメッセージを受けられるが、実際の経験と結果の確認のない単なる推理小説的な想像に満ちみちた諸々の意見は、果して人間の相互信頼心を促進してくれる手助けとなる

の関係の中で感激や感動する行為を人生の先輩として何も与えてこなかったことに、大人たちがやっと気づき始めたというのが本音だろう。

 

 インターネツトやパソコン通信でのメール交換による見ず知らずの他人との会話でも心の交流は出来ると言う人もいるが私は大いに疑問を抱いている。確かに不特定多数の仲間から色々なメッセージを受けられるが、実際の経験と結果の確認のない単なる推理小説的な想像に満ちみちた諸々の意見は、果して人間の相互信頼心を促進してくれる手助けとなるのだろうか。けっして本名を名乗らず仮の名ばかりの議論に責任の持てる意見などはあるはずがないと考えるのは私だけだろうか。毒薬を売る方も買う方もいるという無法ぶりも恐ろしい。

 審議会答申で明確になった大きな問題がまだある。戦後の教育で私達は英語を十分すぎる時間学習した。というよりむしろさせられた。中高校の英語学習時間は合計で二千時間を超えるという。だが学校だけでの学習で外国人と英語を対等に話し、英語で書かれた書籍を自由に読み、さらに英文をスラスラと書ける仲間を私を含めて周囲に殆ど見当たらなかった。膨大な時間の浪費にも似た結果を今の大人達の大半が体験したにもかかわらず、ほんの少し改善された環境で、まだこの傾向は続いているようだ。

 今迄は選択科目として外国語学習があったのだが 新指導要領では中学・高校での外国語学習を必修とし、中学では広く各国で使用されている英語の学習が必修となった。 もともと外国語学習は外国事情を広く理解する手立てとして位置づけられてきたもので、韓国語でも中国語でも学習してよいことになっていたし、現実に韓国語か英語の選択をさせている学

校も幾つかあるという。単に英語を話せるというだけで英語教師になって来日する外国人は多い。

 世界共通語エスペラント展示会で私が出会ったあるカナダ人の高校教師は母国語がフランス語で英語は苦手だという。この教師から少なくとも数百人の学生が正しい英語を学んでいるつもりであろうし、その学校の校長以下全教師も、その地域の教育委員会も彼によ

って立派な英語学習が進められると期待していると推測出来る滑稽な現実が目の前に横たわっている。

 はたして英語を必ず学習する必要があるのだろうかという疑問を抱いた人はどれほど存在するのだろうか。世界共通語を使用している私達は特定の国の言葉を共通語にすることは、その国の文化を他国に押しつけ、それ以外の国の文化を消滅させるものだという理由からも反対している。仮に英語を共通語にすれば英語を母国語とする国は常に優位に立ち、 対等の関係は決して生まれはしないことを私達は良く理解しているからである。

 フランス語でもドイツ語でも世界で一番人口の多い中国語でも結果は同じである。私はもう十年以上も前から学校や子供たちにエスペラント語を教えようと市や町や国際交流団体に対して協力や支援の申し出を行ってきた。すでに国々の境界を意識しなくなった二十世紀末において、色々な国の人々と互いに心の底から理解し合うためには相手と対等に会話できることが必要である。だが一般人の私達が全て の国の言葉を習得することは皆無に等しい。実際に取り組んでも膨大な時間と費用が必要だ。共通語思想は二十世紀始めに多く議論され数百の試案が出された歴史がある。次世紀の主役たちに日本人から世界人に脱皮して欲しいというのが私の希望である。

 見ず知らずの人達と手紙で時には直接会って会話することは、相手の立場をしっかりと認め自分の責任ある意見を明確に主張する姿勢を確実に育んで行く。どこの国からも等距離にあり何よりも平和と平等を願って造り出された言葉がエスペラント語だからこそ相互理解が可能である。

 

 しかし現実の壁は厚く 私の提案を受け入れる状況は今のところ何処にもない。この様な状態は日本中同じだったが、ついにその壁に小さな穴があいた。

 神奈川県立新波高校でそれが起きた。教師の北川郁子教諭は三年前にこの学校へ転校してきた。以前勤めていた中学校においてもクラブ活動でエスペラント語学習を長年指導してきた。新波高校に転勤し2二目には

エスペラントクラブ活動を開始し、咋年はとうとう正規の授業としてエスペラント語学習が教育委員会の認定を受け、二単位取得に向けて三年生三十六名が世界共通語学習に一年間取り組んた。日本で初めて高等学校におけるエスペラント語授業の歴史が始まったのである。むこう三年間この授業設定は決まっていて、 学習に協力的な教師のほとんどは英語担当の教師という。この事実は神奈川新聞にも大きく報道され注目を集めた。現在は教職員エスペラント協議会という組織が発足し教師ではない私も会員となり、、学校での学習について、また大学生を含めた若者へのエスペラント語普及に積極的に意見や提案を出している。

 

 このような教師の動きとは別に、杜会人の生涯学習や学校での講話としてエスペラント語の学習を採り上げて欲しいと九十七年から取り組んできた私は、 九十八年十月福岡県教育庁と福岡県教育委員会に対し「小中高校における外国語学習への協力の申し出について」という文書を提出した。県庁と市役所を訪問し担当主事に直接文書の趣旨説明を行って、 十種類に及ぶ資料を提出した。しかし審議会答申を受け新指導要領で英語教育が積極的になったことを反映して、エスペラント語学習推薦や指示は出せないというのが地方の教育管理機関の答えであった。だが学校側からの外国語学習や国際交流についての照会があれば私の今回の申し出をもとに、エスペラント団体があることを報告できるという担当者見解を引き出した。国の組織への直訴提案は全国初だがこれからが勝負である。

 

 あとは教育現場の学校へ直接話を持ち込む以外にない。私は母校の東福岡高校の実質責任者である校長代理に以前会い、私の提案趣旨を伝えていたので早速文書を送り打合せの時間を割いてもらえるようにお願いした。運悪く母校は今年になって中学校部門を新設したためその発足準備に追われ高校生の卒業・新入学と中学生の新入学とで今年の二月から五月まで全く時間がとれず私の詳細説明はのびのびになっている。私の趣旨を理解しているという校長代理の言葉を信じて日を改めてということになった。六月にもう一度連絡しなければならない。

 七月になると又高校野球で甲子園へ行くことにでもなれば二度目の機会を逃してしまう。私が居住する須恵町でも教育委員会の役員や学校長や教員に異動があり、三月と四月は会議ばかりで私が提案をする機会をつくれなかった。ここへもまた挑戦である。

 

 九十六年十月から福岡市の中心街天神のビル「アクロス福岡」三階の福岡県国際交流課所轄の「こくさいひろば」で、毎月二回(第二、四金曜日の十時から十二時迄)「海外文通教室」を無料で指導してきた。西日本新聞紙上で私の活動を数回紹介されたことも幸いし現在まで約二十名の問い合わせがあった。現在学習しているのは七名だが、かつて中学校英語教師だった男性(七十一歳、半年経過)、 五十歳半ばの女性二名(一人は一年経過、 他の一人は半年経過)サラリーマン(四十代半ば一年半経過)そして若者ひとり(二十代半ば、一年経過)、さらに一昨年中学校の国語教師を退職した男性(六十代、一年経過)最後に今年の四月から学習を始めたばかり の女性二人(四十代半ばの主婦)である。

 

 エスペラント語の学習は学習書を読めば簡単に理解できるため私はテキストや学習書を頁を追って教えたりはしない。言葉の上達方法は実践以外になく、 文法等の規則は後から理解すればよい。各自それぞれに努力して独習するか、全国的な添削指導のカセット付き通信講座(一万円)の受講を勧めている。一泊国内旅行を一回辛抱すれば一生使える財産が身につくと考えれば、こんなに安い買物はないだろう。自学習や通信講座での疑問や質問に対して私の能力でアドバイスするやり方である。だから独習しない人は全く前進しない。趣味でも同じと思うが自分から行動を起こさない者に結果はついてこない。私とエスペラント語文で直接文通の練習をする。その文の誤りを指導し返事を書くと同時にこの手紙が生徒皆んなの教材になるという体験学習である。

 今年の二月に韓国の天安市(京城より約六十キロ南)から十三名のエス語仲間がエスペラント語での

交流を楽しみに福岡市へきた。自由に会話の出来る人は三名ほどで残りは初心者ばかり数ヵ月しか学習していない人もかなりいた。指導者の馬さんは壇国大学の教授で学生と杜会人の二つのグループを大学施設を利用し有料で教えている。実に熱心で活発だった。この交流にも私の生徒が三名参加し二日間エスペラント会話を体験をした。又五月の連休に代々木で開催された全国合借にも高齢の男性と女性が参加した。この男性は四月下旬に開催された 韓国(京城)での合宿にも参加した。この人は「私にはもう人生の余裕の時間がない、本気でエスペラント語学習をしたい」言われる。

 

 昨年十月にドイツからハインツ氏が北東での日本大会出席のあと私を訪ねて磁器の町有田見物にやってきた。二人の会話は一日中エスペラント語だった。今年の一月始めにはベルギーの女性サラさんが来日し九州に一ヵ月ほど滞在した。勿論私と生徒の一人と三人で、時折小雪舞う風の冷たい日に磁器見物に有田町へ出掛けた。

 ベルギーにはベルギー語はなく 第一言語がフランス語、第二がオランダ語、続いてドイツ語だという。当然英語は多少話すが得意ではないとのこと。他にロシア語・ラテン語・ユダヤ語も学習したのだという。私たちの会話は世界共通語のみである。生徒七名が集まってサラさんとの直接エス会話体験もした。私は彼女と連れ立って天神地下街を散歩し酒落た事務用鞄と靴を一足買うのを手伝った。品質の確認や値引き交渉やカードの使用など、彼女の手助けを出来たと思つている。

 残された二千二年までの数年が私にとってのエスペラント語普及活動の正念場となる。なぜなら新指導要領に従って「総合的な学習の時間」の設定に取りかかれる学校は今年から取り組んで良いとの見解を文部省が出しているからである。今までのいわゆる詰め込み式の英語教育の反省にたって小学校でも簡単な英会話を取り入れてはどうかと無謀な発言も、やはり文部省筋からテレビを通して流れた。ユニークさを出そうとどこかの小学校で英会話が始ま

ば独自性のないわが国の学校はこぞって真似をするに違いない。

 私にとっては今年と来年が教育機関への取組み可能な年となるだろう。小学生に対しては「エスペラント語体験の話」を、中学生や高校生に対しては「世界共通語利用の実態と有益性」を伝えて行きたい。この二年間の取組をおろそかにしたら、きっと私は自分の人生を悔やんで終わるかも知れない。また日本におけるエスペラント語普及活動の浮沈は、この二年間の取組に大いに左右されるだろう。

 

 陶器市で有名な有田とマイセンは姉妹都市締結二十周年を今年迎えた。その記念として文通相手と「有田陶器市紹介写真展」をマイセン市で開催しようと計画中である。新聞でも市民に写真提供を呼びかけ、記念式典のため来日したマイセン市の市民交流責任者にも会って当方の写真展の趣旨を説明し協力を要請した。陶器市写真提供の呼びかけに応じ男性から四つ切りカラー写真が十二枚も届いた。きっと秋には実現するだろう。マイセン市街写真展も出来れば後日計画したいと考えている。再燃した私の世界共通語エスペラント奮戦記は、いま始まったばかりである。

 

    〔九州近畿合同文芸誌『竹の花』 第1号〕

    全電通組合員有志 1999年 発行

エスペラント奮戦記(二)

 

  十一 厚い教育機関の壁

 

            橋口成幸 (佐賀退職者)

 

 1999年7月エスペラント語体験学習講座提案資料を準備して居住地と周辺四町(須恵・志免・宇美・篠 栗)の中高校の全十一校を訪問した。勿論学校長へ具体的に説明をし次年度からの授業計画にエスペラント語体験学習を一時間でも組み入れてもらうのが目的だった。更に今年一月初めにはエスペラント語紹介のビデオテープを持参し検討を促した。しかし残念ながらというよりは当初の予想どおり、どの学校からもよい返事はなかった。

 いっぽう文部省筋の英語教育促進計画は次々にテレビや新聞で発表され検討委員会や審議会の見解なども出てきた。福岡県大牟田市教育委員会は、 市内の全小学校の六年生に毎週一時限の英会話授業を「総合的な学習の時間」(以後総合学習)の中で実施することを決定した。本来総合学習については学校長の判断に全てを任せ、ユニークな授業が実施されることを新指導要領の目玉にしている。

 教育委員会が管轄の全学校に対して一様な施策を導入させることは正しいやり方ではない。無策の学校長ばかりなのか独自案を示す勇気のある学校長がいないのか不明だが、なんとも自主性のない戦後日本の教育が又始まろうとしている。

 

 私の学校への提案活動は文部省・教育委員会、 そして学校の厚い壁に突き当たり来春まで小休止せざるを得なくなった。はたして真剣に検討してくれたのか大いに疑問もあるので、早速学校へ検討についてのアンケートを出してみたが数枚戻った回答では資料もピデオも見ていない有り様だった。新規の取り組みとはこんなものなのだろう。学校への取り組みはこんな状態なので私は居住地の町民に対して共通語の宣伝を始めることにした。六月に発行された須恵町文化サークル

活動紹介チラシに新サークルとして「海外文通」(エスペラント語)の掲載に、したが、 学習希望者は高齢者の女性一人のみ。この女性も他の学習者がいないのならとやめてしまった。

 私が同時に始めた「水墨画教室」には小学五年生を頭に四名の子供がいる家族がやってきて両親を含めた家族ぐるみの学習が始まったのに比べると、 何と共通語の存在価値がないことかと改めて思い知らされた。

 これでは来年まで何もできない。私は秋に開催される須恵町文化祭に「エスペラント展」の出展と公開講座の開催を実行委員会へ押しかけて了承を取り付けた。この三年間取り組んできた福岡市中心街での「海外文通教室」学習者は、三名が全国組織の通信講座を受講し現在二名が初級終了後中級に進んでいる。また昨年暮れから学習を始めた主婦も仕事が忙しく教室に来れないので今年六月に通信講座受講を決断し既に三分の一を終了している。

 

 八月の初めスペインの若者が春日市に住むエス語学習仲間の家に二日間泊まりにきた。エス語を使用する者が互いに登録している「パスポルタ・セルボ」という民宿リストを参考にやってきたのだ。博多駅到着の彼の電話を受けて、博多駅情報案内所で待ち合わせる約束をし出迎えに行った。「背の高い男」が目印だったが会ってみると色白で陽気な男だった。

 彼の計画は約四十日間の日本旅行だ。何ヵ国語を話すのかと早速尋ねたら近隣の国々の言葉つまりフランス語・イタリア語・ポルトカル語と他に英語とエスペラント語だという。勿論自分の国のスペイン語は四地方の言葉もわかるという。 半ズボンに靴下なしで靴を履き重そうなリュックを持ち、新幹線にも乗れる七日間利用のJR乗車券(二・八万円也)を持っていた。流石に日本の物価高には閉口していたが、それ以上に日本の夏の暑さにはまいっていた。バルセロナの北方九

十キロにあるタラゴーナが彼の住む町で夏の気温は三十度ほど、地中海に面しているので日本のように湿度も結構多いという。

 

 話は逸れるが前号の報告でベルギーには国語がなく第一がフランス語、第二がオランダ語で次にドイツ語だと書いたが

これは私の誤解だった。ベルギーにベルギー語がないのは正しいがフランスに近い地方はフランス語が第一言語でドイツに近い地方は当然ドイツ語を主に使用し、オランダに近い地方はオランダ語を話すということらしい。従って各地方では隣国に併合されるのを希望する人々もいるという。それにしても欧州の国々の人々は何ヵ国語も話す環境のもとで子供の頃から生活し教育を受けているということをまた実感した次第である。西欧人恐るべしといったところだ。

 それに比べて島国日本の我々は日本語一辺倒におさまり海を隔てているとはいえ韓国語も中国語も学校で学習することもなく、 戦後日本教育の指導下に多くの学校が置かれたままだったことは二十一世紀を迎えようとする今日、間題にならないのがもともと不思議なくらいだったのだ。 彼の父は熱心なエスペラント活動家で、私と同じく地域の代議員として世界エスペラント協会発行の年鑑に登録していた。エス語をいつから使っているのかと聞いたら父親の関係で耳にしていたが講習会を受けたことはなく 日本旅行を思い立った一年前から学習したのだという。そう言えば彼から送られたEメールにも文法の誤りが散見したし、綴りも少々怪しかったが、私との会話は止まることを知らない。

 

 彼の職業は図書館員だというので福岡市図書館と博物館を案内し大壕公園では見事な日本庭園を見学した。福岡県や福岡市の国際交流センターへも案内し中心街ではペスト電器でテレピやパソコンやステレオ等を見てまわった。

 日本に着いてまだ一週間なのに、もう箸の使い方はなかなかのものだったが別れの昼食のにぎり寿司の山葵には一瞬息をとめた。彼を泊めてくれた仲間と博多の森でJリーグのサッカーを観戦した夜は、 地元福岡アビスパが名古屋グランパスに接戦の末勝利した熱すぎる夜だった。帰国日は何日かと聞いたら八月末日だという。じゃあ何日から働くのかと聞けば九月一日からだという。全くもってタフな若者だった。

 

 こうしたなか少し明るい話題もあった。先日NHKーFMで放送されたラジオドラマの「クロアチア物語」である。知人約四十名ほどへ突然に勝手な案内の手紙を出した。当夜お聴き頂いた方々へ心から感謝している。

 この放送は「私の名前はスポメンカ・シュティメツです」という女性の語りで始まった。この部分の背に低く流れていた言葉がエスペラント語で「ミア・ノーモ・エスタス・スポメンカ・シュティメツ」というのがそれである。著者は女学生の頃エス語を学び始め、その文通相手が翻訳者の森真吾氏(元福岡動植物園長)である。既に二十年以上も文通が続いている。

 彼女の言葉にもあったように『世界中の人たちに読んでほしいからエンペラント語で書いた』ということなのだ。ある言語で書かれた書籍は、その言葉を知らない人々にとっては自国の言葉に翻訳しなければならない。一般の国民には翻訳などという作業は殆ど不可能である。こう考えてみるとやはり共通語の存在と価値を無視することなど出来なくなる。

 八月にエス語普及の一日講習(二時間)を計画し、 幸い二つの新聞杜が読者への周知欄に掲載してくれた。 二人の受講者があった。退職者の男性は「想像していたよりはずっと易しい」と感想を述べ、 石川県から来福中の女性は文法の易しさに驚いていた。今後学習を始められるのかどうかは確かでない。八月末にはキューバ生まれでアメリカ在住の中年男性

がやって来た。文部省の招待で電子工学の学会に参加し六月末から九月初めまで日本中をJRで駆けめぐっていた。たった一晩仲間の家に泊まった後長崎へ旅立ち、徳山さらに北海道へ行くという。 ある夜電話に出た母が「韓国の人のようだ」と告げて私を呼んだ。北京大学に留学中の韓国人若者崔挽源君が小平市から電話したのだ。韓国語を話せない私と彼との会話は全てエス語である。彼は十五年程前に私が住んでいた唐津市へ来て二泊しているし、二年前にも現在居る須恵町を訪れ一泊している。韓国で開催された世界エスペラント大会では彼は実行委員として忙しく働いていたし、上海のアジアエスペラント人会では偶然に会場で出会った。北京大学留学中のこの十年程は年に数回手紙の交換もしている。私にとっては彼は息子のようで彼にとっては私は叔父のようなものだろう。

 

 エスペラント界で私の息子と言える人物がもう一人いる。上海の小さな島に住む小学校の先生唐勇君で、もう十数年以上前から文通をしている。上海のアジア大会滞在時は彼の案内で裏通りや骨董街を巡りデパートでは絹の生地を買い、二百人ほども入る近代化された大きな食堂で食事をし、大変世話になった。切り詰めた年金生活者の今の私に余裕はないが将來ぜひ一度彼の家族を日本へ招待したいものだ。中国は子供を一人しか持てない国の仕組みだが税金を払えば何人も持てるので、パソコンや携帯電話など買わずに二人目を早くつくれと助言している。

 過去に私が文通した中国内陸の人は三人の子供を育てていた。税金は厳しいが子供は家族の絆で宝だと手紙に書いてきた言葉を忘れることが出来ない。姪の子から譲り受けた絵本を十冊と友人に貰った絵本「チャイクロ」六冊を船便で彼へもうすぐ送る準備をしている。

 

    〔九州近畿合同文芸誌『竹の花』 第2号〕

     全電通組合員有志  2000年 発行

 句集紹介  稲富義明氏第二句集

    十二 燦(ほむら)

          橋口成幸 (佐賀退職者)

 

 私が排句を学び始めたのは今から五年前で、当時佐賀情報案内部に勤めていた辻光子さんをはじめ八名はどで、既に退職されていた鹿島市の稲富義明さんに指導していただいたのが最初であった。その頃氏の第一句集「鵠(かささぎ)」を拝読する機会があった。俳句の良さを理解できる技量を全く持ち合わせていない(現在もあまり変わらないが)私にとって一句一句が素直に読み取れたことをはっきりと覚えている。今回の第二句集をいただいて直ぐに読んでみたが、第一句集と変わらぬ素晴らしい作品群であった。その一部をここにに紹介する前に、稲富さんが敬愛されている高野素十(すじゅう)について「現代俳句」(山本健吉著)から一部分を抜きだしてみよう。

 

 素十が他の吟行俳人と異なる点は見て見て見抜く眼の忍耐を持っていることである。「無心の眼前に風景が去来する。そうして五分、十分、二十分。眺めている中にようやく心の内に興趣といったものが湧いてくる。その興趣をなお心から離さずに捉えて、なお見つめているうちにはっきりした印象になる。その印象をはじめて句に作る」と言っている。素十の句を幾つかあげてみよう。

 

 街路樹の夜も落葉をいそぐなり

 廻わっててんたう虫の飛びいづる

 ひつぱれる糸まつすぐや甲虫

 百姓の血筋の吾に麦青む

 蛇泳ぐ波をひきたる首かな

 甘草の芽のとびとびのひとならび

 泡のびて一動きしぬ薄氷

 苗代に落ち一塊の畦の土

 打水や萩より落ちし子かまきり

 白浪やうちひろがりて月明かり

 雁の声のしばらく空に満ち

 

 今度は稲富さんの作品である。

 

 嬉々として蝌蚪水口を落ちにけり

 目を開けて波をくぐりし雛かな

 夜回りの影絵のごとく来たりけり

 かまきりの喰みこばしたる蝶の翅

 潮先を小走りに蟹つまづきて

 父の座のぽつかり空きし炬燵かな

 白息を棒と吐きけり蓮根掘り

 野焼衆一揆のごとく集まりし

 冬日いま鍬振り上げし高さかな

 薄氷の解けゆくごときいのちかな

 寒卵こつんと母はもう居ない

 

 一読して情景が明瞭に浮ぶ。稲富さんが高野素十へ限りなく近づこうとされているように私には感じられる。第三句集が出版される日を心から待たずにはいられない。

 

            〔全電通九州文芸 第十一号〕

     全電通九州文芸連盟

     全電通九州地方本部

     平成7年8月20日発行

   十三 連句はいかが

                                 

          橋口成幸 (福岡・須恵町)

 

 俳句を始めてから「切れ字」の扱いに疑問を抱き、俳句の源を学習しようと図書館で見つけた『おしゃべり連句講座』 (矢崎藍著/日本放送出版協会発行)を読んでみた。その内容が面白く、ためになり、いろいろ啓発もされたので、ついつい傍若無人にも著者へ手紙を出してみた。挨拶がわりに本の例題を全て回答して送った.勿論自己紹介として私の俳句学習と切れ字の悔みも書いた。

 私は八年ほど前から俳句を学び始め五年程経過した三年前に、俳句の定義について疑問を抱き、ある結社の会誌購読と投構を中止している状態である。月刊誌『俳句』やその他の俳句論評の書籍を、近くの図書館で借り出して読み、清水杏芽氏(双葉主宰〉提唱の「俳句は切レがいのち」に大いに感銘を受け、清水主宰に手紙を出して、具体的な「切れ字」と「切レ」の解説を求めたが、詳しい指導を戴くには残念ながら至らなかった。

 

 やむなく自分で学習を始めることにした。現在活躍されている多くの俳人の「俳句入門書」や「俳句の手引き」などの理論書では、「切れ字」や「切レ」についての解説は殆ど見当たらず、ほんの一頁か二頁の説明ばかりで、なかには拾行足らずのものさえある。そこで俳句の起こりである「発句」に注目し、更に逆上って連句(歌仙)・俳諧・連歌と興味を膨らませた。しかし「発句」を解説した書籍は現在まで見つけることは出来ず、連句や連歌に関する書籍も、ほんの数

冊しか図書館になく、見つけ出したのがこの『おしゃべり連句講座』と言うわけである.

 

 連句で有名なのは三十六敢仙である。連句を簡単に言えば、前句の内容を受け次句を詠むということになる。しかし花(桜)や月を入れる位置や季節を詠み込む位置が予め決められている。これを重視しながら世

間一般の雑事や恋の句を入れ、五七五あるいは七七をつくる。同じ人が五七七の句ばかり詠ま

ないようにと奇数人で順に句を詠むことが常となり、有名な句を発句に借りる「脇起し」などがあって、結構頭を使う実に面白い文芸である。

 最初の句が発句であり、主客が席の主人に対して季節の言葉を入れて、句仲間への挨拶として五七七を詠んだという。これに答えて二句日に主人が七七を脇句としてつくり、三句日以降は順次詠んだ。そして最後は挙句と言って、その席の締めくくりの句を作ったということらしい。

 

 この本の例題から連句十四の習作「猫のあくび」と「にほの一声」の二作品を今回図々しくも本誌に投稿した。既に連句をご存じの諸先輩から、ふざけた作品だと叱られることだろうが、幸いにも著者から付句を添えた葉書が届いたのでここに紹介し、俳句愛好会の諸先輩以外にも、連句をお勧めする次第である。

 

 雑貨屋の棚に土鍋の伏せてあり  橋口成幸

 テレビニュースの告げる空爆   矢崎 藍

 

【連 句 習 作】

 

目覚めては猫のあくびや春の風邪

ガラス戸ごしに梅の一輪

いま流行りカヌレたちまち売り切れて

薬指には思い出リング

恋文を赤きポストに投げ入れて

店に並びし苺の小箱

一人見る月夜に旅の写真帳

コンパ帰りの賑やかな声

雑貨屋の柵に土鍋の伏せてあり

耳に残れるラジオのニュース

素潜りの海女の姿の遠く見え

三日で届くクール宅急便

明日の朝はシジミ貝汁

脇起   ニホのひと声

 

秋深し隣は何をする人ぞ

梢を去りしニオのひと声

夕月にクロワッサンが売り切れて

とかくゆっくりぼくの人生

いつのまに背丈だけ伸び浪人二年

急な坂をば下る自転車

待ち兼ねてじっと見守る交換時計

たしかあの娘はバニラの香り

公園の周囲の森の木下闇

石碑に刻む勇士の名前

襟巻きをはずし乗り込む満員電車

呼び止められて知らぬその顔

花散ると庭へ持ち出す水盤

風に任せし凧の如くに

 

       〔竹の花文芸会報 第五号〕

   旧全電通九州・近畿合同文芸サークル

   2000年7月26日発行

  十四 その後の私

                             

           橋口成幸 (福岡・須恵町)

 

 昨今のおかしな社会の流れに見切りをつけた七年前の私の早期退職が、誤りでなかったことを日に日に感じながら、私の十二分に頑固な生き方は続いている。

 

 まずは俳句に関することを報告しよう。『竹の花』でも以前問題提起した「俳句は切レがいのち」という命題(提案者は俳人清水杏芽氏)について更に深入りせざるを得なくなった私は、制作力が未熟ながらも、この命題の普及に第一歩を踏み出した。

 出会ったときから私のライフワークとなってしまった世界共通語エスペラント(以後エス語)普及運動の中でも、俳句のエスペラント語訳に挑戦する若い人があらわれた。しかし、その考え方は「切レ」の意義を理解し得ていない現代著名俳人の作句傾向を、そのままエス語に持ち込んだものである。発表された蕪村の俳句のエス語訳では、原作の風情はすっかり失われているように私には感じられた。

 

 俳句は日本独特の文学だが、最近は外国人が自国語に翻訳したり、また創作を試みていて、インターネットでも時々英語俳句に会える。ハワイの高校教師のエスベランチスト (エス語を使用する人)は、生徒に俳句を教えているとの手紙を受け取ったことがある。外国人が俳句の根本思想である「切レ」を理解するのは非常に難しいはずだ。何故なら日本人の俳人を称する人々さえ、正しく認識していないからである。だから日本人の外国語翻訳には細心の注意が必要で、「わび」「さび」の理解も「阿吽の呼吸」も大切である。全ての翻訳作品には重要な意味を自ずから背負わされている。

 「切レ」るとは具体的にどんなことなのか、どのような状況をさしているのか、その解説をもっと素人にわかりやすい方法で示すことが大切だと感じてき

た。この間題の提唱者である俳人清水杏芽氏へ私が手紙を書いて、氏の考えによる俳句理論の出版を願ってから早くも六年が過ぎ去ってしまった。いまだ適切な解説書も俳句理論書も出版されていないようで、ついに自分で著述せざるを得なくなったという次第である。

 

 昨年私は自分が考える構想を整え、その一時原稿を纏めて清水杏芽氏へ送った。清水杏芽氏の作品から多大なる引用をし、「切レ」思想普及活動の手引書を作成したいと

申し出たのである。全く営利目的ではないので出版する考えはない。この間題を他の人へ説明する資料として、更にはエス語に訳して外国人に「切レ」の意義を知らせることを願ったものだと説明し、作成についての了承を得ようとした。私は自分の計画の報告という形で手紙を書いたので、清水氏から返事は届いていない。清水氏はすでに八十歳をこえられたはずで、誰かが氏の考えを受け継ぎ著述を纏めなければならない時期に来ていると、私は推測している.

 

 具体的な内容は清水氏の著書『虚子も蛇忽も俳句を知らなかった』(島津書房)及び『俳句は「切レ」がいのち』(沖積社)をもとに「本物の俳句とは何か」について記述したものである。あからさまに言えば「はじめ」と「あとがき」以外は、一部分私自身に分かり易い表現に変えた箇所もあるが、氏の著作から全てを抜き出したと言うのがむしろ当たっている。最後に文語活用表を添付する予定である。『「切レ」と俳句の正体』をタイトルとし、サブタイトルを「清水杏芽氏に学ぶ」とした。

 

 もうひとつ大きな活動はエス語普及活動である。二〇〇一年度中学校の英語授業時間で積棲的に取り組んだ国際語エスペラント紹介授業(以後国際語授業)は『竹の花』第3号報告と同じ方法ではあるが、近隣の四十八中学校ヘファックスを使用して再三再四に及ぶ国際語授業協力の申し出を行った。そ

結果、六中学校で延べ四十九クラス約一八〇〇名の生徒に国際語授業を実施した。自費出版した学習書を全ての生徒に無料贈呈し、二校から交通費として支給された謝礼金に対し、相当額のエス語関係図書(全三十五冊)を学校図書館へ寄贈した。五校においては、授業と同時にエスペラント展示(絵葉書・手紙・解説パネル)も実現し、全学年にわたって大いに生徒たちの関心を引くことができた。

 

 また市役所や町役場の広報課へ出向いて取材を要請した結果、四箇所の広報誌で授業風景が紹介された。西日本新聞社からの取材も実現し、その報道(写真入りで縦十七センチ横十五センチ)を読んだRKB毎日ラジオ放送から、生番組の中で電話インタビューも十三分間(当初予定では七分間)受け、他にローカルテレビからの取材も一局あり、市民へのニュースとして五分間流れた。

 この二年間で延べ二三〇〇名、エス語の存在すら知らなかった子供たちが大きな関心を国際語に寄せた。本格的に始まる新教育の目玉「総合的な学習の時間」でのエス語利用も、学校長や教頭や英語担当の教師へ大いに提案した、三月中旬には文部科学省へ「全校設置基準」についての意見と提案をメールで送った。昨年八月に開設した「総合的な学習の時間」に関するホームページも、今年三月未で六七八回のアクセスがあった.二〇〇二年度も一人だけの諸費用自払いのボランティア活動はコツコツと続くことになる。     

      

      〔竹の花文芸会報 第三号〕

    旧全電通九州・近畿合同文芸サークル

    2000 年6月15日発行

 エスペラント奮戦記(三)

  十五 ザメンホフ博士の

         プレゼント

 

           橋口成幸 (福岡・須恵町)

 

  私が精力的に取り組んでいた学校への国際語エスペラント学習導入提案は第二号で報告したように厚い教育機関の壁にぶつかっていた。そんな私に思いもかけない朗報が舞い込んだのは二千年十二月十五日(ザメンホフ博士の命日)のことで、それは突然やってきた。

 【福岡県宇美中220名、生きている国際語を体験】 

 隣町の宇美中学校から英語の時間に国際語授業をしてほしいという校外講師の要請である。英語担当教師と学習内容を検討し学校長に授業内容を事前に説明し了承してもらった。以前から「総合的な学習の時間」実施への協力を申し出ていた私に講師要請を依頼したというのがことの起こりらしい。  一日にクラス三日間で全六クラスを指導した。最初にエス語で「今日の日はさようなら」を歌い、エス語で短い挨拶をして初めて出会う言葉の響きを生徒たちに感じてもらった。

 

 次に国際語(エス語)の誕生と歴史を短く紹介し 国際語の最も重要な条件は中立の言葉であることを説明した。生徒たちは顔を上げ 思いのほか真剣に聞いてくれ、つづいて私は体験談を紹介した。 (一) 読書体験ではエス語月刊誌やマンガ「はだしのゲン」と中国絵本を見せ中国では三十年以上も前から子供向けのエス語絵本が沢山作られているのに驚き (二) 旅行体験ではプラハ世界大会へひとりで参加した事やプラハのレストランのメニューボードには チェコ語 で書かれた文字がない話に生徒は静まり、 (三) 海外文通では受け取った九ヵ国の封筒を生徒に回覧した。封筒の中から手紙や写真や新聞切り抜き小片を引っ張り出して興味深くながめていた。

 一時限(五十分)の授業は短く急いでアルファベットの発音を練習をし、自分の名前をエス文字で書か

せると生徒は活気づいた。簡単なエス語の挨拶(こんにちは・ありがとう・さようなら等)で、たちまち隣の席の生徒と言葉を交わす者が出てきた。最後にエス語歌詞で「誕生日の歌」を練習し当月誕生の生徒に起立してもらって皆で祝った。記念に自費出版の小冊子『橋渡しの言葉エスペラント』をプレゼントしたら、 これも大好評だった。二日目は黒板中央に日本語 左にエス語、右に英語と区分して《エス英バトル》と称した言語比較を生徒の協力で実施したら大好評だった。

 

 三日目は西日本新聞社の取材もあり教室は始めから活気があり、バトル協力に挙手する生徒は十名を超えていた。授業後もっと知りたいという生徒も現れた。私の授業風景を他の教師も見学し2001年度も学校長と英語教師のはからいで国際語授業をすることとなった。

 宇美中学校の坂田正夫校長(後に報告するNHKテレビ番組「日本の宿題・学校」で生徒たちが先生を評価する施策を採り入れ、大きく報道されたユニークな人である)は私との約束どおり今年一月に開催された福岡県東部地区の英語教師研究集会で、 宇美中での国際語学習体験を近隣校へ紹介してくださった。そのおかげで国際語授業は他校へ飛び火した。

 【粕屋東中学校180名、83%がエス語に興味】  2月7~8日に第2番目の粕屋東中学校(全5クラス)で授業することとなった。使用のプリント教材は宇美中と同じだがバトルと称したエス語と英語の比較にもっと時間をかけた。単語・造語・動詞活用・品詞語尾、語順を変えた文章に疑問文と生徒たちはエス語の簡単さに目を輝かせ驚いていた。授業後の生徒たちの感想をアンケート集約から報告しよう。

 「国際語は理解できたか」(1)理解した 29%、 (2)大体理解した 63%、 合計92%を占めた。授業前に全く知らなかった国際語の存在をほとんどの生徒が知った事実はことのほか重要だ。「面白そうか」(1)面白そうだ 81%と良い印象である。「もっと知りたいか」(1)学習してみたい 27%、 (2)話を聞きたい 56%、 合計83%が初めて出会ったエス語に関心を寄せている。「簡単だと思うか」(1)非常に簡単だ 17%、 (2)簡単だ 38%、 合計で55%の半数が簡単だと受けとめている。この結果をみても明らかなようにエ

ス語の存在を知らせることが外国語学習に多大な影響を与えることが分かる。

 【須恵東中学校120名、 国際語授業をALTも見学】

 国際語授業は3番目の中学校である福岡県須恵東中学校へ2月26日に飛び火した。内容はこれまでの2校と同じだが、 エス語と英語の比較には接頭語・接尾語などが加わり生徒たちはエス語の簡単さに驚いていた。一週間在校中のALT(外国語指導助手)はカナダ出身の若い女性で母国語はフランス語、残念ながらたどたどしい日本語である。彼女も全3クラスの授業を見学し日本で初めて国際語の存在を知ることとなった。特に目的語の語順を変えても成立する疑問文には驚いていた。

 今年の秋にはぜひ国際語授業をしてほしいと粕屋郡新宮中学校(280名全8クラス)からの話も決まった。これで4校の生徒数合計は八百名になる見込みだ。須恵町広報誌は私の国際語授業を写真付きで報道した。すでに古賀東中学校の要請もあり他に同地区の2校も実施に向けて検討中である。2001年度の目標を学校数十校生徒数二千名とし、私はこの一年間学校訪問を続けていくつもりである。

 学校によっては交通費相当の謝礼が出るので、 その金額でエスペラント書籍を買って学校図書室へ寄贈した。宇美中へ9冊、粕屋東中へ8冊の学習書やザメンホフ伝記など中学生でも読めそうな本を取り寄せた。多分この2校ほどエス語書籍を所蔵する中学校は日本中にないはずである。残念ながら須恵東中では謝礼は出なかった。

 新学習指導要領実施で英語教科書ニューホライズンの内容が改訂され国際語・エスペラント語の文字が消えると私の活動を展開する手掛かりはなくなる。

さいわい今年度までこの内容の教科書が使用される。つまり2002年3月までが私のエス語普及活動の勝負期間なのである。各県に一つは地方エス会がある。その仲間が私同様の活動をすればエス語の認知度は明らかに上昇するはずである。校外講師をする技量などないと尻込みをされる先輩諸氏も多い。私のように自分の体験を交えて子供達に話をする程度のものなら誰でも出来そうなものだが、私一人しかこんな取り組みをしている者はいない。

 英語教育施策が津波のように押し寄せる昨今 学校の授業でエス語を知らせる機会など二度と来ないかもしれない。いまエス語を知らせる活動なくして 本当の国際語が市民権を勝ちとる日は来ないだろう。言葉による差別を無くし生まれた国が違っていても 心と心をつなぎ平和を目指す言葉として、エスペラント語は眼科医師ザメンホフ博士によって造られた言葉だから、現在の心を病んだ子供たちにこそ良い影響を与えるきっかけを秘めていることに一般の人達は誰も気づいていない。

 

 私が「総合的な学習の時間」への協力申し出活動で出会った教育関係者の数は、この3年間で20名を超えているが、この教育施策について賛成的な発言はほとんどなく 独自の前向きな意見を披露された方はひとりもいなかった。特に奇異に感じたことは「当校は環境をテーマにしているので国際理解や国際交流は採り上げていない」と いう学校長の発言だった。

 最近NHKテレピで「日本の宿題・学校」(12回シリーズ)が放送された。その中心テーマは新教育と学校の改革である。この番組は視聴者の意見も求めていたので、この数年間に私が経験した学校長を始めとする教育関係者との間での新学習指導要領に対する大きな違いをもとに次の報告と提案をNHKに提出した。

【教育現場での理解と私との違い】

 私が出会った教育関係者の数はこの3年間で20名を超えていまるが 『総合学習』についてどの学校も独自の見解を持っていないと感じた。特に奇異に感じたことは「当校は環境をテーマにしているので国際理解や国際交流は採り上げていない」との発言だった。番組の中で紹介された福岡県南風小学校のテーマは生徒の意見を聞いたのち皆で決めたものだが、放送にもあったような取り組みを日常的に繰り返して出来るのかと問題提起されていた。南風小学校では最

終的に老人ホーム慰問という形でコミュニケーションに成功したので、ほっとしたとの担当教師の発言もあった。

 これは「総合な学習」の理念から判断すれば評価の誤解につながる危険性があると私は考えている。生徒のミュージカルが失敗したとしても(極端な言い方をすれば、(最後まで取り組んで発表出来なかったとしても)それまでの経緯や経過で 生徒たちの中に工夫する力が生まれる動機を与えたものであれば、やはり新教育としては成功したのだと私は考えるからだ。

 勿論途中で挫折しそうになったときに生徒たちは考え直す。それ自体が教師にとっても学習だったと振り返えられているので、南風小学校での努力も成果も認められるのだが、最後に形が現れないと成果を感じないと言う評価方法は何ら従来の評価方法と大差ないように思われてならない。

 民放のドキュメント番組だったと記億しているが、 体験学習を先行して実施した学校での反省会では 子供たちに面白かったと言う感覚だけが残っていて 自分の力でどのように取り組むのかという点については、生徒たちの心や身体の中に何も残っていなかった、と全てを反省する教師の感想も発表された。

 このことから何かに触れて体験するだけでは考える力をつける教育には成らないことが明確だと云わざるを得ない。

 

 他の番組では、たしか少人数の山間部の小学校だったと記億しているが、授業で知った宮澤賢治のことに生徒の関心が集まり、宮澤賢治の話(多分作品だと思いますが)を琵琶演奏する女性演奏家のことを知り、学校に来てもらって演奏して欲しいと手紙を書いた。ところがその演奏家から「24万円準備出来ますか」との返事が届いた。その資金作りに頭を悩ました子供たちは先生のアドバイス(指導ではなく助言のみ)をもとに自分たちでポスターを作り切符を作り村の人に売りに出掛けるが誰も買ってくれない。放課後遊ぶこと

も忘れて夜暗くなるまで村を何日も廻る。途中で挫折も新たな工夫もします。そして頑張った生徒たちの行動は大人たちを巻き込み、ついに資金を作ることができ演奏会を実現したという番組でだった。

 この番組の評価は「本当の体験学習を自分たちの力でやり遂げた」と言うものだった。こんな例はそうそうないと思うが、生徒を何度も突き放して困ったときの相談にのみ助言をする教師の存在が、最も「総合的な学習」の基本的な考え方に沿ったものだと私は考えている。

 【私が考える運用とは】

 社会でも地域でも学校でも家庭でも、いま欠けているのはコミュニケーションと相手への思いやりだと考えている。従って全ての学習場面(特に現場である学校)に於いて次の改善や配慮が何よりも必要だと考えている。

(一)学習環境について。 〔施策〕一方向に黒板ばかり見ている机配置を止める。出来るだけ生徒の顔がお互いに見える配置にする(例えばコ型・U型できれば円形など)。〔理由〕意見を述べたり発表したりする友達の表情を知るのに向かわない机配置では他人の喜怒哀楽を感じることもなくコミュニケーションは生まれない。 〔施策〕空き部屋を利用して1グループ20名以下の学習に変える。1クラスの人数を20名にするのではなく半数ずつに分けて授業と自習を交互に行う。(20名で1クラスとして教師を置きたいが当面は教師の数が足りない)。必要なら教室間の壁をぶち抜いて大きな教室に変える。 〔理由〕現在の子供(特に中高校生)は身体も大きくこれまで使用した古い時代の教室に40名も入れると狭すぎるし少子化で空き教室は幾つもある。 〔施策〕大人への質問の機会を設け放課後に何でも質問できるようにする。大人の意見を聞いたり、自分たちの意見を述べたりすることは活きた人間学そのものである。

​ 生徒たちが知りたいテーマに沿ってその経験のある大人に来てもらう。週に1回は校外講師の話を聞いたり、実技を見学する機会を設ける(希望者だけの出席でよい)。 〔理由〕核家族化が進み経験の伝

達が容易に出来ない時代になっている。大人世代と生徒たちの世代では現実に進んでいる環境の認識が違いすぎる。 (二)「総合的な学習の時間」について。 〔規則〕話し合いや取り組みの内容・結果などはグループ活動記録簿(仮称)に記録する。

 

 第一段階〔生徒へのアンケート集約と公表以外教師は意見を一切出さない〕。 ① 「興味があること」「もっと知りたいこと」「やってみたいこと」「得意なこと」などについて全生徒からアンケートをとる。  ② アンケートをもとに同じ趣味の生徒たちのグループを作る(例えば少人数でもグループにする)。学年別にせず全学年通したグルーブとする。自分で趣味や関心事を書けない生徒には成立したグループの見学を勧めて参加させるか、それでも決まらない生徒には教師が個別面談のうえ適当と思われるテー マを示し生徒が納得するまで一緒に検討する。 ③ 各グループの中で話し合いリーダーを選び何に取り組むのかテーマを全員で決める。単に人気選出     ではなく リーダーがしなければならない仕事などについて教師は生徒へ明確に示す。  ④ 具体的にどんなことをしたらよいか全員で意見を出し合う。(※ 与えられたテーマは生徒の自主性を育てない)。(※ 興味あるテーマこそ熱心に最後まで取り組める)。(※ 生徒の中には大人以上に知識ある者も沢山いる)。

 

 第二段階(生徒からの相談があるか、生命に危険が及ぶと推測される行動以外には教師は意見を出さない)。 ① 行動計画にもとづいて誰がどのような仕事をするのか分担を皆で決め注意点を洗い出す。  ② テーマに関して詳しい情報が必要な場合でも、 とりかかり方法は生徒たちが決める。 ③ 地域や専門団体の支援が必要でも、その所在を探す方法を助言するが(例えば電話帳で調べたら等) 直接相手への折衝は生徒に行わせる。 ④ 取り組みで失敗した事など反省点を皆で出し合い次の対策を検討させる。(※ この繰り返しが自立学習につながる)。(※ 教師も得意な分野のグループ担当教師になる)。(※ 活動記録を基に担当教師が知らないことは、知っている教師の応援を受ける体制を

つくる)。

 第三段階〔適当な時期(最低各学期毎に1回)に取り組み状況の発表会を全授業を止めて一日開催する〕。 ① 壇上での発表ではなく 教室をグループに割り当て生徒の自主説明と自由見学にする。  ② 他グループとの比較は取り組みへの刺激になるが決して競争に発展させてはならない。 ③ 三学期では残った部分を急いで仕上げるのではなく 1年間の取り組みを振り返って反省し、印象深     かった事や、ためになった事や、どうしても疑問が残った事などを生徒それぞれが思い出して表にま     とめグループ全員で考え最終記録とする。

 

(三)取り組みに当たっての留意点。 ① テーマの決定や具体的な取り堀みの発案は生徒たち自身でしなければならない。  ② 教師は「生徒の行動を見守る」ことに終始し相談を受けても解決策を示してはいけない。 ③ 生徒の生命危機に関すること以外は誘導をしない。 ④ 学校外の助言者が必要な場合でもその所在を教えるのではなくて調べる方法を助言する。 ⑤ テーマが完結しない事が問題ではなく、 取り組み方法を探せなかった事が問題である。失敗を多くしたグループほど自主性が育つことを重視する。

 

 【私なら手伝える『総合的な学習の時間』】

 私は25年前に働きながら通信講座で国際語エスペラントを学びました。その後全く面識のない外国の人達と文通をし、その結果沢山の絵ハガキを受け取り色々な考え方も知りました。退職した6年前には 通信講座で独習し、国際文通で理解したエス語が本当に通用するのか確かめるためビザ取得や宿泊所の確保など全ての旅行計画を作成して、ひとりでドイツの4都市とチェコのプラハヘ、エス語の仲間を訪ねて旅行した経験があります。この国際語エスペラントを活用して次の「総合的な学習の時間」の支援や指導をいたします。

(一)テーマの設定。 次のような助言や取り組みの手助けができます。(あくまでも生徒の自主性育成を支援するものなので国際語への翻訳以外は直接手伝わない)。 〔例〕〈環境問題〉外国の実態を知る(過去や現在の問題点、どのような方法で解決したかなど)ゴミ問題・交通

渋滞問題・緑化促進・校外など)。〈国際間題〉戦争被害の実態を知る(困窮の度合い、その国の言い分など)。避難民の生活・災害地支援状況など。〈情報通信〉パソコンの利用実態を知る(学校での利用、公共施設での利用など)。電話のかけ方の違いなど。〈個人趣味〉趣味の充実(本・パンフレット・絵ハガキ・切手の交換など)。〈イベント〉開催地でのニュースなど。〈生活実態〉物価比較・学校生活・流行など。

(二)エスペラント語学習の問題点。 エスペラント語学習は《言葉というひとつの道具を身につけることにすぎない》ので言語学習を中心に置いての指導は行いません。英語学習との混同も指摘されますがベルギーなどは自国語もなく各地方毎に近隣の国語を幾つも同時に学んでいます。日本人は慣れていないだけで経験と年月が解決するでしょう。(国際語エスペラント使用の利点は最小の苦労で容易に言語習得ができ多くの国々から情報を得られることです)。

(三)取り組み評価のための記録。前述のように活動記録簿(仮称)を基に生徒の相談に応じます。生徒個人の取り組み把握は教師が行うことになります(顧問としての報告は可能です)。

(四)その他可能な支援。 ① 国際語エスペラントを使って知り得た外国の生活や情報を紹介します。  ② 来日エスペラント仲間と学校を訪問します。  ③ 学校文化祭でエス語に関する展示支援をします。

 

 【おわりに】 「人に天才はいるのか」という質問に対して「努力した結果秀でた人はいるが天才はいない」と答えたのはドイツの教育者カール・ピツテだったと記憶している。単に生まれたままの状態では万物の霊長だと豪語する人間の子(赤ん坊)は寝返りすらできず、自分から乳も飲めず、そのままでは死んでしまうしかないという事実を認識することが私たちに欠けていると思う。ジャングルに墜落した飛行機内で生き残った幼児がその後育てられた猿と同じ行動をし、言葉も話すことが出来なかったというニュースを過去に読んだ記億があるが、人の成長は環境によって大きく左右されるという事実をもっと真剣に考えなければならない。

 要は幼い子供たちや未熟な若者を誰かが指導しない限

り誰一人として立派な人間には成り得ないだろう。そんな人間社会で大人たち自身も未熟である。

 人の教育に絶対という方法や手段はない。幾人かの学校長へ前述の私の提案を話してみたが『総合的な学習の時間』の理想は分かるが現実はそう行かないとの返事ばかりだった。私の協力提案を検討してくれる学校を探しながら諦めずに活動を続けるつもりである。

 いま私は『教科書のない小学校』(小松恒夫著・新潮社)という本を読んでいる。昭和57年に出版され その後絶版になっていた『教科書を子供が創る小学校』を復刊したものである。この中に当時すでに『総合学習』と位置づけられた教室でヘビを飼う生徒たちの活動が紹介されている。この取り組み方法も、 位置づけの思想も前述したNHKへの私の提案と全くといって良いほど同じ内容なのに、私は非常に驚きそして大きな自信を持った。つまり新教育についての私の理解は、テレピでの文部科学省役員の発言と同じもので、それは既に20年程前に実証済だったということになる。教育の見直しを求められているが 実は教師を始めとする大人たちの思考改善以外のなにものでもない。私は国際語学習への協力よりも「総合的な学習の時間」への協力提案をすでに須恵町で五年前から始めていたのである。

 

     〔九州近畿合同文芸誌『竹の花』 第3号〕

      旧全電通九州・近畿合同文芸サークル

            2001 年日発行

 エスペラント奮戦記(四)

   十六 地方行政へのぞむ新教育

 

           橋口成幸 (福岡・須恵町)

 

 中学校での国際語エスペラント授業概要について会報第3号で報告したが一人での活動は緒構大変だった。準備もそうだったが授業を上手に進める技術は経験を重ねながら身につける以外にない。初年度は国際語の意義やエスペラント語誕生の経緯について、それぞれに時間を設け説明したが生徒達の反応は良くなかった。それに一時限が五十分というのも少な過ぎた。二年続けて授業した最も好意的な宇美中学校では、クラスあたり2時限の授業計画を校長が認めてくれた。他の五校は初めての授業で、いずれも一時限のみだった。授業内容も説明や解説を少なくして生徒達中心に切り換えて人気の海外から受け取った手紙の紹介に多くの時間をつぎ込んだ。

 一人ひとりに一通ずつ配った手紙の中を自由に見てよいと生徒に告げた。好奇心旺盛な生徒達は封筒の中から出てくる物にあちこちで奇声をあげた。写真・切手・紙幣・観光パンフレット・絵はがき・新聞の切り抜き・本のしおり・切り絵・貼り絵・ミニカレンダー等々、隣の生徒と見せ合っていた。

 

 私は次のような説明をした。文字が書かれた紙に注目してください。国により使用されている紙の質が違います。ノートを破って書いた人や裏が透けて見えそうな薄い紙にびっしりとタイプした人、読めそうもない癖のある文字を厚手の紙に書いた、 ざらざらした薄茶色の紙の人、会社名の印刷された便箋を使った人、紙質はその国の文化を表すとさえ言われています。どんな紙を使っていても書かれている文字は全て国際語エスペラントなのです。

 いま皆さんが手にしている手紙は十五年程前にエスペラント語誕生百周年を記念して、私が外国から絵葉書を集めたときの手紙です。相手国の名は 東ドイツ・西ドイツ・イタリア・フランス・スペイン・ポルトガル・リトワニア・ソピエト・イギリス・ブ

ラジル・ベルキー・ポーランド・中国・韓国・カナダ・エストニア・オランダ等です。

 皆さんは現在十五歳ですが私がエスペラント語学習を始めたのは三五歳で、今二五年過ぎました。もし皆さんが学習を始めると、私が学習を始めた年頃には、きっと外国と自由に文通できるでしょう。  

 

 宇美中学校ではエスペラント語文字のローマ字書きで生徒と即興日記を黒板に書いた。先ず最前列の生徒に私はこのようにたずねた。

『昨日学校から帰って何をしましたか』

『友達と会いました』とすぐ返事が戻った。私は彼の言葉をエス語ローマ字を使って黒板に書いた。次に すぐ隣の席の生徒へたずねた。

『友達は誰だったと思いますか』教室に皆んなの笑い声が起きて生徒はこう答えた。

『八木くんです』 どっとおこった笑いは私が黒板に書き終わるまで続いていた。隣の席の生徒にたずねた。『八木くんは何と言いましたか』くすくす笑いが起きた中で返事はこうだった。

『メェーと言いました』

 教室中に笑い声が満ち溢れてはじけた。私はそのままの言葉を黒板に書いた。エスペラント語はこのようにローマ字で書くことができれば、もう発音を聞くのも理解したことになる。こんな調子の授業は初めて出会う言葉という珍しさもあり、私が校外講師ということも手伝って結構生徒たちには好評だったことを 授業後に受け取った感想で知った。学習者数は六校四三組で約一六○○名。アンケートを提出した生徒数は一二○○名強。九割は「国際語の意味がわかった」と答え、五割が「エスペラント語をいつか学習してみたい」と答え、「エス語は易しい」と答えた数は七割に達した。授業後の生徒感想アンケート回収率七七%だった。

 

 高校受験直前の十二月から二月にかけてのエス語体験授業だったが、幾つかの学校では「緊迫した受験勉強の息抜きになってよかった」という評価も受けた。

学習した生徒達がこのあとエス語学習を続けるとは限らないが、実際に使用されている国際語の実状に触れ外国の人々と言葉が通じることの意味を理解し体験談などを直接聞いたことは、大いに印象深いものになったと思う。

 「エスペラント語は使用されていない言語なので学習は不要です」と述べたり、「教師用の指導書に説明があるので結構です」という学校もあった。しかし、 エス語は世界中で実際に使用されているし、私が入手した教師用指導書には、一言もエス語の解説など記述されていなかった。一人の英語教師の判断で数百人の生徒に真実を伝えられなかったことは非常に残念だった。同時に教育における教師の責任の重大さに改めて気づかされた。

 

 今回の国際語エスペラント紹介授業(国際語授業)を数値をもとに報告しておこう。 授業提案対象中学校数は四八校、提案文書ファックス送信回数延百五回。授業実施校数は六校。延授業クラス数四九組で

実クラス数は四三組。受講生は千六百名、作成した提案資料は十八種類、授業用プリント原稿は四種類。授業で歌ったエス訳の歌(赤とんぽ外)八曲を暗唱。全生徒に見せた海外からの手紙は四五通を準備。配付物は二種類で日本エスペラント学会発行のミニパンフレット『ホントの国際語ってなんだろう』と 私の自費出版小冊子『橋渡しの言葉エスペラント』(国際語エスペラント普及版学習書)をそれぞれ千六百部。

 

 学校への事前説明訪問六回。総授業日数21日(春日東中2日、新宮中4日、篠栗中2日、志免中2日、古賀北中4日、宇美中7日)。贈呈資料はエス訳歌集65部、エス文通案内本『はじめてのエスペラント文通』12冊。授業期間中エスペラント展示も五校で実施(空き教室や廊下を使用)、延べ展示日数は十四日間。展示物は手紙約百通。絵葉書約130枚、エスペラント関係の書籍は厳選して辞書・学習書・解説書・絵本・原作本・翻訳本等約百点。エス語解説小パネル7枚。この活動で動かした自家用車の延べ走行距離は352Kmである。

 謝礼として受け取った金額は二校で三.六万円。同額相当のエスペラント語関係図書を購入し夫々の 学校図書室へ寄贈した数は全25冊。一昨年に続いて宇美中へは八冊の組本『ザメンホフ』(総頁数5259頁)を贈呈。新宮中(17冊)と宇美中(17冊)の二校はエスペラント語関係図書を日本中で最も多く所有している中学校となった。

 

 さて私の出費だがガソリン代は別として、全生徒に贈呈した小冊子『橋渡しの言葉エスペラント』は、今回の国際語授業を見込んで既に三千部作成していた。千部作成では四万円程かかる。三千部では多少は安くなる。予定の生徒数を二千名と推測し思い切って三千部作成したのである。歌集や海外文通案内の冊子購入にもそれ相応の出費であった。

 幸いに昼食は殆どの学校で食べさせてもらった。生徒と同じ給食を頂いた学校もある。 残されたのはこの活動の成果である。学んだ生徒達約1600名が国際語エスペラントの真実を語る宣伝マンになってくれるであろう。これより大きな成果を上げることは出来ない。授業後に学習希望の生徒も数名あったが早くても高校卒業後の話になるだろう。自分の小遺いでは高価な辞書が買えないという女の子もいたので私はこう話した。

『お母さんに相談して夕食後の食器洗いを一日十円でさせてもらったら、きっとお母さんは喜ぶと思いますよ。そうできれば一年で3650円もらえます。四千円の辞書が一年後には買えますよ。』

 生徒の顔は驚いた表情だった。

 

 私のこの活動は注目活動のひとつとしてエスペラント団体の機関誌で年間記録にあげられた。更には九州エスペラント連盟賞を貰うこととなり、副賞として宇美中へ今年度寄贈した『ザメンホフ』(八冊の組本)と同じものを特別に希望して頂戴した。

 全くおかしな話である。五年前に私がこの取り組みについて資料をもとに提案したときには多くの先輩たちは『言葉など学校で教えるのは間違いだ』とか 『そんなことをしても効果がない無駄だ』とか言っていた

のに、私を表彰するなんて。言語教育で問題なのは英語主体で行われている外国語教育が、限られた国の独自の文化を一方的に押しつけがちで、夫々の国の文化がだんだん抑圧されてゆく傾向にあるということなのだ。従ってその影響を回避できる外国語学習があれぱよいのだが民族語では不可能である。勿論先輩たちも良く認識されている筈なのだが、ではそんな英語攻勢の教育現場において、 手を拱いていてよいのか大いに疑問である。

 

 私は『総合的な学習の時間』の施策が、このような問題に対して最も適切な場を提供してくれることになると判断している。一般の人達と同様に我が先輩たちの教育認識も未熟と敢えて云わざるを得ない。  

 新学習指導要領に変わった今年度、残念ながら中学校英語教科書上にエスペラント語の話題はない。新しい取り組みを考えなければならない。と思っていたところへ意外な情報が入ってきた。エスペラント語の創始者ザメンホフ博士のことを扱った高校英語教科書があるという。『ニュー・アトラス』の第八課に何と六頁の本文と練習間題もある。九州地方での教科書採用校は福岡県下門司市の豊国学園のみ、熊本県は鎮西高校と県立盲学校の二校のみで、残念ながら他県には採用校がなかった。前年度までの手掛かりといえば「国際語エスペラント」という僅か日本語九文字だけだった。それでも二年間で延べ2300名の生徒達にエス語を伝えた実績を考えると高校英語教科書を捉えてエス語宣伝をしないのは、 あまりにも勿体ないの一言に尽きる。だが三校とも私にとっては遠過ぎる。私はホームページに情報を掲載し全国に呼びかけたが間い合わせはなかった。

 

「完全学校週五日制」の導入による色々な各地の活動をマスコミが取り上げている。子どもたちへ何かをしてやりたいと言う大人たちが知恵をしぼって活動をはじめた。私は新教育の中心である『総合的な学習の時間』の正しい認識を地域の大人たちに理解してもらうため「こどもとおとなの土曜日」という組織を立ち上げて新聞やテレピで呼ぴかけた。勿論ホームページで

情報を公開した。単に子どもたちを土曜日に集めてその面倒をみるというのは、週五日制導入の意味を正しく反映していないと私は考えている。

 毎月第四土曜日の午後二時間「おとなの学習会」と称した集まりを毎回新聞でも呼びかけてきたが、 住民の反応はほとんどない。やっと私の居住区のとなりの地区の若い主婦三名が新教育や土曜日の運営について話を聞いてくれることになった。テレピ録画を観せその内容をまとめたプリントを渡して解説し 私の提案の概要を説明した。

 

 この提案を簡単に紹介しよう。大人たちは「達人カード」で自分が得意なことを登録する。子どもたちは「知りたいカード」や「やりたいカード」で自分の関心のあることを登録する。世話人はこれを突き合わせて仲介する、というものである。新教育のねらいは 自分の力で解決する力を身につける方法を学んでいくことにある。取り組むテーマは大人たちから与えるものではない。子どもたち自らが抱いた疑問がテーマとなり、、一度やってみたいと思っていたことへの挑戦をテーマにしなけれぱならない。つまり「興味の無いことをしても創造力は生まれない」と言えば分かりやすいだろう。

 既に私はホームページで今年四月にこの活動について問題提起をした。学校におけるこの件の運用については昨年八月にホームページを立ち上げた時に既に情報を送り込んでいた。がもっと具体的な授業の提案方法はないものかと考え続けてきた。  その基礎情報としてNHKや民放で流される教育番組を出来るだけ録画した。既に二時間用のビデオテープ三十本分はたまっている。殆ど一時間以内の番組なので延べ六十本分の番組を蓄えたことになる。

 思いがけない機会がおとずれた。七月初旬に日本カリキュラム学会第十三回大会が九州大学で開催され公開シンポジウムが実施された。そのテーマに『総合的な学習の時間』が入っていたので、二日間の全日程を傍聴した。この傍聴記録も既にホームページに掲載し私の感想と意見と提案を公表している。

 残念ながら大会での課題研究や自由研究の発表者は教師からテーマを子どもたちへ与えていた。つまり本当の取り組みは、ここでも実施されていなかった。新学習指導要領総則編で詳細な説明がある。なぜ多くの教師たちが正しく理解出来ないのか私には不恩議でならない。まさにこれは国語の読解力不足という問題に違いない。

 

 カリキュラムと言う言葉を今まで聞いたことはあったがその意味は漠然としていた。国語辞典では教育課程と説明し,各教科を学ぶ上での手段や仕組みも含めた意味があるようだ。日本カリキュラム学会でも問題にしていたのは新教育のカリキュラムをどう提案すればよいかということで,諸先生が頭を悩ましていたのにも驚いた。公開シンポジウム出席の教師からは何か見本を示してくれと注文が出たが、パネラーの教授たちからは「現在検討中」との返事しか出ない。変な話である。新教育への移行間題は中央教育審議会第一次答申の五年前から今日という日が来ることは分かっていたはずである。また教師たちが自分の手でカリキュラムを探し作ること自体が 『総合的な学習の時間』の実践なのだと私は言いたい。これまでの与えられた知識教育人間には大きく変化した状況での判断や分析は、やはり無理なのかも知れないと考えざるを得ない。こんな難点を克服しようというのが今回の理念なのである。

 最近見たインターネットの学校教育(高校)の総合学習に関する掲示板では信じられない話が続いていた。『総合的な学習』をどう捉えて授業すればよいのか教えてほしいという教師や、そのためのテキストを試作中だという報告もある。高校は来年度から実施なのでまだ余裕があると考えている教師が多いのかも知れない。

 『総合的な学習』にはテキストは無用である。その理由は児童生徒本人が決定するテーマは、それぞれ異なっている。また似たテーマでもその出発点の知識にも理解度にも個人差があって画一的な指導テキストなど作っても無意味なのである。これまでのように教師

児童生徒が疑問を解決し、またより高度な知識を得ようと挑戦する授業は180度違った角度からの取り組みなのだ。これまでの授業方法や手段を全て捨て去り新しい方法を教師ひとりひとりが自分の経験と確かな推測により造りだす以外にない。というのが 教育者として何の経験もない私の独学新教育理論である。

 七月中旬またまた興味ある記事が新聞に出た。佐賀県西有田町が教育長を町内外から公募すると発表した。九州地方では初めてのことで「新しい教育へ向かった試み」とある。詳しい経緯を知りたくて応募要領を取り寄せた。既に到来しつつあるIT時代を認識し、特にアジア諸国と友好関係を結び地域を発展させる視野の人物が必要だと西有田町は述べている。勿論地方文化の継承と生涯学習についての展望も求められる。

 果たしてこの西有田町は、これまでにどの様な行政計画を実行してきたのか気になった。福岡市中心街の天神にあるイムズピルに佐賀県福岡情報センターがある。西有田町の資料を読んでみると実に面白い。特に新総合計画(95~04年)として発表された資料「創造と感動とみどりの風が薫るまち」には過去の経緯や現状分析と将来展望が詳細に述べられていて、七年も前に作成されたものとしては将来展望に明るい。その教育と文化に関する記述は、かなりの部分で私が描いている新教育の概念と似ていた。

 そこで私は提案書を作成し提出することにした。いまどき用紙で提出するのは面白くない。私のホームページの中にぶら下げて提出し他の私の情報も見てもらおうと考えた。できるだけ項目別にまとめて作成した。勿論西有田町の「新総合計画」概要も入れ込むことにした。構想は膨らむばかりだったが提出するのは遅くとも八月末までにと考え、一ヵ月程の大急ぎの仕事で大変だった。コーディングはメモ帳だが二十五ファイル、125KB、2284行の情報量である。構成項目を紹介しておこう。

 タイトル【21世紀地方行政にのぞむ新教育】 01 新教育の概要  02 求められる教育  03 新教育へ改革

 04 IT時代に同期  05 相対絶対評価 06 国際理解交流 07 新カリキュラム  08 教育機会環境  09 総合学習展望  10 地域生涯学習  11 町行政概要  91 新教育指導者 92 新履歴書考察  93 その他  00 はじめに  そして最初の〔トップ画面〕以上である。

 〔トップ画面〕では私のこの提案の一つでも採用して欲しいと懇願し、国際語エスペラント学習を全学校で取り組むか、あるいは町全体で取り組む場合は英語学習補助教員(ALT)相当待遇の一年間契約であれば転居して責任指導すると告げ、何よりも「新教育の理解者はあなたの地域にも必ず住んでいる」と述べて地域発案を促し、単にトップとなる人物を求める方法はもう時代に合わないことを指摘した。

 〔はじめに〕では提案資料作成のきっかけを述べ 21世紀望まれる教育体制について分析し、私が教育に取り組む理由を告白し、国際語エスペラント習得の価値について紹介した。 私にとってこの七月は忙し過ぎた。奈良在住の先輩が計画した外国人エスペランチスト招待旅行報告書作成も手伝った。A4版約百枚の原稿の最初の粗打ち入力のみが当初の受け持ちだったが、私の思惑はすっかり外れた。

 何度かワープロ出力のエス語手紙を受領したこともあったので初期入力だけ手伝えば、その後の修正はご本人がゆっくりされるとよいと考えていたのだ。

 なんとご本人は一度もこれまでにデータ保存をしたことがないとわかった。これでは修正は出来ないし、 次ファイルにつながる文章を複写機能で前ファイルに接続させるなどという高等技術はとても出来そうにない。その上御歳も八十歳に近い。途中で入院も発生した。 私のワープロは先輩の機種と異なる。直ぐに新聞投稿で同種の機器を譲り受けた。なんと奇特な方が新聞掲載当日に現れた。新品同様の品である。理由を話してありがたく頂いたのが昨年十二月である。ところが肝心の原稿が出来上がらない。やっと三月に受け取り一次入力して校正のため送り返したのは四月末だった。六月下旬に校正分を受け

取り本格的な修正に入ったのが七月である。

 新機種のワープロの操作を調べながらの入力は結構大変で何よりも先輩の達筆な文字を読めない箇所が度々あり、漢和辞典を調べ国語辞典で送り仮名を確認する作業も何度かやった。一回のみの校正を約束して、やっと印刷用最終原稿をプリントしたのは七月中旬だった。やがて製本されたものが届くだろう。

 

 最後にひと言読者へ報告しておきたい。政治も経済も教育も社会も、すっかり歪んだ日本を変える手立てはいったい何処にあるのだろうかと時々私でさえも考える。次々に表れる不正の数々は諺通り氷山の一角で、どこも彼処も真実が押し殺された状態は 何も大企業や悪徳業者だけの専売特許ではないような気がする。退職前職場で管理者に苦言を呈した私に同調する仲間の声の少なかったことに 労働者意識の衰退を私は感じた。

 機構や規則等を改善してもどうも簡単に日本の変革は出来そうにないと私は思う。何故なら続いてそれを担当する人々の意識が変わっていなければ又元の状態に戻るだろう。詰め込み教育と学歴社会の弊害がやっと吹き出した気がするが、 週五日制導入で塾が盛況だと聞けばやはり簡単には変わらない。こう考えると人間改革以外に世の中が良くなる方法はそうそう無いようだ。幅広い思考力の養成を世界共通語学習を通して行おうと私が考えたのは、もう十五年も前のことである。今「総合的な学習の時間」という施策を教師でさえ批判する人が多い中で 一歩前進させるのは住民なのである。この五年間に幾人かの知識人と呼ぱれる人達に出会ったが「総合的な学習の時間』について知識も認識も不足していると感じた。これからの教育は学校という固定場所から外に出て地域住民が積極的に参画した形で進められていくことになる。言い換えれば一般の人々が関心を持たず改善取り組みをしなければこれまでと何も変わらない杜会が続く。こんな時代の渦の中に国民ひとりひとりが立っていることを知らねばならない。

新教育について自分の思想を持たない人は 時代遅れだと言われるだろう。私が西有田町へ提出した提案資料は町の関係者の点検も済み、正式にインターネットで公開できることとなった。作成後一年経過したホームページのアクセス数は今年八月末で1600を超えた。私の地域住民への新教育提案活動はまだ始まったぱかりである。

 

     〔九州近畿合同文芸誌『竹の花』 第4号〕

      旧全電通九州・近畿合同文芸サークル

            2002 年日発行

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